モーニング娘。<!--zzzモーニング娘。/zzz-->


アルバム・レヴュー 2018-03-03 10:00:26
さて、恐らく熱心につんく♂曲を聴き続けてきたファンならば
とっくに気付いているであろう話を書く。
しかしまったく話題になってない、という事はもう諦めの境地なのか。
それともそんなファンというのはすでに絶滅危惧種なのか。

ミニアルバム「二十歳のモーニング娘。」の事である。
全8曲の内、つんく♂のプロデュース曲が再録1曲を含めて3曲。
他はつんく♂の愛弟子代表としてヒャダインと大森靖子が1曲ずつで2曲。
インディーズデビューシングルのコンビが再録も含めて2曲。
そして若手代表として雨子と星部のコンビで1曲。
記念アルバムとしてこの人選や割合は、現状を考えるとパーフェクトだろう。

しかしトータルプロデュースがされていないから、アルバムとして惜しい作りに
なってしまっているのは「⑮ Thank you, too」と同じ。
そして、つんく♂とヒャダインと大森靖子は流石であったが、他の新曲2曲が
失敗して異物感が出てしまっているのもまたフルアルバムと同様。
サエキけんぞうの歌詞はともかく桜井鉄太郎はいわゆる渋谷系の人達の浅さを
30年後にわざわざ証明する。ただの洋楽コピー。心地良いだけでしか判断できない
グルーヴに関する無理解。もうひとつ雨子・星部はお互い不得意なテーマを
与えられて案の定平凡で押し付けがましい感動ソングになってしまった。
何よりも「五線譜のたすき」をつんく♂から本当に直々に渡されたのか、と
問い詰めたい。無論それはメンバーたちの変遷の話だろうけれども、この二人に
記念曲を書かせた意味を考えれば、そっちの命題の方が重要なはずであろう。


アルバム・レヴュー 2018-03-03 10:03:33
そして肝心のつんく♂作品についてだが、曲としては2曲共に優れている。
歌謡曲+バックビートの効いた骨太なリズムという定番と、爽やかな小品の佳作。
しかし問題は「歌詞」だ。これも優れていると言えば、もはや文学的に優れている
わけだが、内容は辛辣極まりない毒の塊。


「花が咲く 太陽浴びて」の冒頭、

好きなようにやってみればと言ったくせに
好きなようにやり出したらあれこれ言う


これを読んでピンと来ない読解センスの無い人がディープなファンにいるはずは無い。
だから確信犯的に書いているのであって、タイトルをいかにも「愛の種」への
アンサーソング風にする事で事務所の検閲を逃れたのかもしれない。
恐らく「Just Try !」から温めていた自己の分身であるモーニング娘。に現体制への
「愚痴」や「皮肉」を歌わせる、というメタフィクショナルな企み。
それがついに成就した、という事だろう。
歌詞内容は冒頭以後も全くお祝い感はなく、曲調もこの上ない程にダークである。
数々のメタファーを読み解くのもまた一興。


アルバム・レヴュー 2018-03-03 10:05:47
さらにもうひとつの「お天気の日のお祭り」がとてつもない。
最初ラジオで初めて聴いた時はタイトルや「浴衣」というキーワードから
つんく♂得意の「夏の情景もの」だと思って、それがなぜ2月発売のアルバムに
入っているのかと考えれば、ボツにされた曲をミニアルバムに流用した、としか
思えず、適当にコンパイルしたゼティマの人間を恨めしく感じた。

しかしよく聴いてみたらそれは全くの誤解。
この曲こそが、つんく♂が高度なメタファーを駆使して作り上げた真の意味での
「20周年記念曲」だったと気付いた時には大袈裟ではなく戦慄した。

アルバムを買った人はぜひ歌詞カードを熟読して欲しい。
夏のお祭りの歌なんかでは全くない。主人公がつんく♂で‘君’がモーニング娘。で
ある事は文学の素養がある者ならば誰でもわかる。
無い人でも説明されれば理解できるだろう。

つんく♂がモーニング娘。に連れられて20周年という「お祭り」に行く。
よくわからない、名前も覚えられない「親戚」が大勢いて無理矢理会わせられる。
「聞いた感じ美味しそうじゃない」お店が気になって食べてみるが、美味しかった、
とは言わず、「不思議なの」を食べた、としか言及しない。
そして食べ物はどうでもよくて、今日の‘君’は「かわいい」とだけ言って締める。
他の部分もすべてが暗喩と言ってよいので解釈を楽しんでみて欲しい。


アルバム・レヴュー 2018-03-03 10:07:12
凄い歌詞を書いた、という意味でこの曲は大傑作である。
しかしこれがつんく♂の考える「20周年」なのか、と悟ればジワジワと怖くなる。
そしてこの一曲だけで、最近のハロプロの迷走ぶりが手に取るように伝わって、
ハロプロにまつわるすべての事象が納得できてしまう。

もう一曲、「モーニングコーヒー」のリメイクがあるが、アレンジが大幅に
変わっていて「愛の種」の何も変化のないリメイクとは較べるまでもなく楽しい。
結局つんく♂プロデュース作が突出してしまう、といういつもの結果ではあるが。

そして「モーニングコーヒー」に関しては「モーニングみそ汁」との因縁も
感じさせる。あちらはつんく♂はライナーでひと言も触れず、ツアーでも一度も
娘。たちに歌わせなかった。スポンサーが付いたとはいえ、自分の作品を相談も
無く事後承諾で「コーヒー」を「みそ汁」に替えられた安易さに怒ったのだろう。
「みそ汁」ならばアレンジもそれに見合うようにしたい、なんなら歌詞だって
全部書き直してやる、というのがつんく♂の職人としての拘りのはず。
リメイクとはこうやるんだ、というお手本のような今度の「モーニングコーヒー」は
新鮮で良い出来栄えである。今回つんく♂が唯一ひねくれずに作った、とも言える。

しかし基本的に3曲中、2曲が「ひねくれて」いるのだからファンとしては複雑だ。
そのひねくれ加減がつんく♂の「毒」という新たな新境地を示しているところが、
歓迎もしたいし、だからといってハロプロはこのままでいいのか、などと悩ましい。

兎に角つんく♂は冴えていて絶好調、という事だけは確認できるのが救いではある。


癒して名無しさん 2018-03-03 10:20:54
長文つんく信者って常に上から目線で偉そうにしてるよな
そんなにつんくアンチを増やしたいのか?


癒して名無しさん 2018-03-03 10:22:49
ヒャダインさんはまだいいとして、大森さんってつんく♂さんの愛弟子なの?


癒して名無しさん 2018-03-03 10:41:00
※26
それは正式な師弟関係という事ではなくて、つんく♂をリスペクトして
同じ業界に入ってきた人、くらいの意味で「愛弟子」と書かせてもらいました。

ヒャダインの「WE ARE LEADERS! ?リーダーってのもつらいもの?」の歌詞には
今までのつんく♂作品のフレーズが散りばめられているのも然ることながら、
「師に感謝して」という涙ものの一文がしっかり入ってます。
本当は児玉雨子が「五線譜のたすき」で書くべきフレーズなんですけど、
新人なのでたとえ書いたとしても却下されちゃうのかもしれません。
大森靖子の「ENDLESS HOME」は安倍なつみのソロ曲ですが、安倍なつみを詳しく
知っている人ならではの深い歌詞が素晴らしい。
北海道の実家とモーニング娘。という‘家’を掛けていて、歌詞カードでは
親子の‘娘’という単語に‘娘。’とわざわざ句点を付けている。
どちらも渾身の一作を提供した、という感じで嬉しく思いました。


癒して名無しさん 2018-03-03 10:45:26
>好きなようにやってみればと言ったくせに
>好きなようにやり出したらあれこれ言う

これが皮肉だというのはわかるんだけど、
それすらも飲み込んで、全ては自分自身の人生だと

>そう全部私 私が私の道を行く

と歌ってると解釈してたな。

>好きなようにやってみればと言ったくせに
>好きなようにやり出したらあれこれ言う

の部分も、つんく♂さん自身がそういう目にあって来たということだけでなく、
誰か(例えばメンバー)に対してそうしてきたということも歌ってるんだとも思う。
あれこれ言われて、それに従ってるような気になってても、
結局それを選んでるのは自分自身だし、選ばざるを得なくしてるのも自分自身だと。
だから「生きたいように生きろ」って歌ってるものだと解釈してたし、
つんく♂さん自身も「生きたいように生きてる」ということなんだと思ってた。
皮肉や愚痴で終わってるのかな?


癒して名無しさん 2018-03-03 10:50:33
※27
大森さん→つんく♂さん
という矢印は想像できるのだけど、
つんく♂さん→大森さん
という矢印があまり印象にない。
それで「愛弟子」って言葉に抵抗感じましたが、
言葉のチョイスは人それぞれということで理解しました。


癒して名無しさん 2018-03-03 10:57:13
※28
いや、まさにその通りでその歌詞は多重構造になっています。
優れた歌詞というものは必ず多面的な解釈ができるものなので、
この「花が咲く 太陽浴びて」も例外ではないですね。
「Just Try !」も同じでした。二番で明らかにつばきが歌うにはおかしい
愚痴が並んでいるけれども、つばきへの応援歌としても綺麗に収束させている。
だから単なるボヤキソングとは全く違います。


癒して名無しさん 2018-03-03 11:03:59
※30
じゃあ、※27でそこも触れた方が、※27さんの意見が誤解されずによかったと思いますよ。

それと、コテハン消えてますよ。


癒して名無しさん 2018-03-03 11:05:28
※31で「※27」と書いたのは「※22」でした。
すみません。


癒して名無しさん 2018-03-03 11:07:38
※29
想像ではなくてはっきりと大森靖子さんがつんく♂を師と仰いでいる発言が
多数あります。今思い当たるのはタワレコのコンピのライナーなどですかね。
つんく♂のライン仲間には入っていなかったかな?
赤い公園の津野さんがライン仲間なのは覚えているけれども。

大森靖子さんは道重さんに対してもそうですけど、本当に尊敬する人とはあまり
接触を持ちたくない、という自分に課したケジメを遵守する印象はありますね。


癒して名無しさん 2018-03-03 11:16:23
※32
アルバムレヴューと題してわざわざ書いた意味というのは、
これを叩き台にして皆さんで議論してくれたらコメント欄も盛り上がるかな、
くらいの意味なんで、あなたのように指摘してくれる人がいてこそ議論や論旨の
密度が上がって大歓迎なんです。ですから、ご指摘ありがとうございます。
そしてコテハンではない、という答えでもあります。
あくまでも叩き台としてのレヴューが※21?※24です。


癒して名無しさん 2018-03-03 11:26:07
乗っかっておいて言うのもあれだけど、
こぶしじゃなくて娘。かつんく♂さんの記事でした方がいいんじゃない?
こぶしのファンには謝りたい。
管理人さんが拾って記事化することに期待することにします。


癒して名無しさん 2018-03-03 11:31:04
※35
確かにこぶしの記事ではあるけど新曲について星部氏が外された、というのが
トピックで、それに対して私や管理人さんや他の方々も持論や感想をすでに
書いていて流れが出来ているんですよね。
どうせならこの流れそのままで読んでもらいたいんだけども。

まあ私に権限はないので管理人さんの判断にお任せします。

*情報を教えてくれた方
ありがとうございます
m(_ _)m




  •  コメント一覧 (3216)

      • 3153. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:25
      • ※3142
        おお、吉田拓郎の、その話は知らなかったですねぇ。
        しかし時代的に歌謡界のそれまでの常識だった、歌手のバックはジャズの
        ビッグバンド、という形態以外の「歌謡曲」が出てきた時期ではあります。
        もちろんその前にGSブームもありますけど、あちらは自分達で演奏する
        だけだから、そのまま出演させれば良い。ただしエレキギター使ったバンドは
        アンプがまだ発展途上なので、ビッグバンド歌手と一緒の出演だと音量的に
        負けてしまうから釣り合いが取れない。だからやはりGSバンドだけの演奏では
        当時の「歌番組」では成り立たないはずで、古い紅白などを観ると、たとえば
        ブルーコメッツなどはビッグバンドで補強してもらいながら出演してた様に
        思われます。ただしGSブームの末期くらいからアンプのパワーも増大してくる。
        これは欧米でも同様でして、だからこそビッグバンドいらずの小編成のロック
        バンドがコンサートでもテレビでも隆盛を誇っていく、という流れですね。
      • 3154. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:26
      • そして吉田拓郎という人はロックバンドではなく、もうひとつブームであった
        フォーク界のプリンスだったわけですが、フォークはマイク真木の様な
        歌謡フォークを除けば、更に音量的にテレビは無理ですので、アングラ的な
        ムーヴメントであった。しかし拓郎は積極的に「歌謡界」にコミットしていく
        わけですよね。森進一に「襟裳岬」を書いて、レコード大賞取っちゃうのが
        象徴的で、その後もソロになったかまやつひろしや、ご存知キャンディーズ
        など、何のわだかまりもなく交流を強化してクロスオーバーしていく。
        そんな革命的な存在だったからフォークファンからは裏切り者と呼ばれるわけ
        ですけど、吉田拓郎の知名度はどんどん上がっていって、結局彼はこの自分の
        信じた「路線」で大成功を収めてしまう。その後、井上陽水らとレコード会社
        作って失敗するところは調子乗っちゃったかなあ、という感じですがw
      • 3155. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:27
      • で、そんなある意味、時代の移り変わりの象徴の様な存在なので、歌謡界の
        演奏上の常識をも「破壊」した可能性は確かにありますねぇ。
        ジャズ上がりのプレイヤーの、拓郎には「いい加減」に見えた演奏を嫌って、
        自分の書いた「歌謡曲」を演奏する際には、常に一定水準が保たれる様に
        「楽譜」による「統一」を強制した、みたいな。
        しかし私はつい、大昔のジャズマン達を擁護したくなってしまいますねぇ。
        「いい加減」と言えばその通りなんだろうけど、それがジャズの本質なのでw、
        その日の「気分」で演奏する。バイトとしてのトラの演奏、という人も沢山
        いたでしょうし、歌謡曲のバックなんてやってらんねえよなあ、という態度を
        露骨に出してしまう人もいたかもしれない。でもそんな「人間味」のある、
        良く言えば「アドリブ的自由」、悪く言えば「手抜き仕事」w、という演奏が、
        生放送の歌番組で観れて、同じ曲でも番組専属のバックバンドの違いによって
        全く別物になってしまうような「スリル」を、視聴者が日常的に体験できた、
        というのであれば、私としては非常に羨ましいw
      • 3156. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:27
      • 拓郎の歌唱上の新しさである「字あまり」につきましては、これは完全に
        ボブディランの影響をモロに受けた人、という話に過ぎないと思います。
        「春だったね」とか、ディランそのまんま、という節回しの曲も多いですね。
        ただし、確かに単なる真似ではあっても、アングラではないメジャーの歌謡界
        に乗り込んでやって見せてたわけだから、ディランを知らない様な人達には
        相当な影響やショックを与えていたかもしれませんねぇ。
        実際に管理人さんも、その後の文章でサザンオールスターズの名前を挙げて
        おられますけど、桑田佳祐の時代にまで来ますと、字あまりどころの騒ぎでは
        ないw もはや早口過ぎて聞き取れない、おまけに日本語の単語を英語風に発音
        してしまうから、何がなんだかわからん、というw、いや、これは私はサザンの
        テレビ初登場をリアルタイムで観てますから、その「衝撃」体験は今でもよく
        覚えていて、たまに思い出したりしています。
      • 3157. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:28
      • で、確かに桑田佳祐ってサザンのアルバムで「吉田拓郎に捧げる歌」みたいな
        タイトルの曲を歌ってましたねぇ。最近、精彩を欠いてるぞ、みたいな先輩に
        対して偉そうな叱咤激励の歌なんだけどもw、その後90年代半ばくらいからは
        誰か「桑田佳祐に捧げる歌」を誰か歌わないかなあ、なんて私は密かに願ってた
        事を思い出しましたw いや、諸行無常なんですけど、その頃だと桑田自身が
        精彩を欠いていて、自分のコピーだけの人にいつしかなってしまっていた。
        まあ、どんなビッグネームでもほとんどの人がその道を辿るわけで、これは
        仕方のない事ですけどねぇ。しかしそう考えると、つんく♂って化け物では
        ないか、なんてw 桑田が物足りなく感じた頃の拓郎の年齢や、私が物足りなく
        感じた頃の桑田の年齢よりも、つんく♂ってすでに年上ですよね。それなのに
        未だに「驚き」をもたらしてくれる、今まで聴いたことのない摩訶不思議で
        新しいものを生み出してくれる。いや、今回はこれくらいで自重しますが。^^
      • 3158. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:28
      • 佐野元春のビジターズ! 確かに私もLP持ってるわけですがw、そこに管理人
        さんが書いてくれた「逃げ道」を早速使わせてもらいますとw、好き嫌いが
        はっきり分かれるアルバムでしたねぇ。^^
        私はサムデイから聴いてて割りと気に入ってた人ですけど、あのアルバムで
        ズッコけてしまったw やはり当時の私は、いや、今もそうかもしれないけど、
        洋楽を聴く比率の方が断然高くてですね、ヒップホップ的なヒット曲という
        ものは、70年代後半から80年代前半にかけてすでにいっぱいあったわけです。
        だから、あれは84年ですかねぇ、もうすでにそんなに「最新」ではない、と
        いうのがまずひとつ。後はやはり、本場のリアルタイムのラップヒットを
        聴いてましたからねぇ、そんな「欧米かぶれ」の耳で聞くと、物足りない。
        トムトムクラブの「おしゃべり魔女」とかね、あれは81年か82年だった気が
        するけど、今聴いてもまったく古びてないんですよ。知らない人がいましたら
        YouTubeで検索してみて下さいw この邦題のままで出てくるはずです。
        他にもレイクサイドというバンドの「ファンタスティックヴォヤージ」の冒頭
        であるとかね、これだとヒップホップではなく人力ファンクバンドのヒット曲
        ですけど、やはり迫力あるラップ的パートが肝になっている。これや、全米で
        NO.1になったブロンディの「ラプチュア」だと80年じゃないですかねぇ。
      • 3159. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:29
      • まあ、完全にヒップホップという「文化」も含んだ音楽が大々的に認知されたと
        なると、ジャズピアニストの重鎮であるハービーハンコックの大ヒット曲、
        「ロックイット」になるわけですが、これが確か83年。だからまあ、その頃に
        パッと渡米して翌年にビジターズを作ったんだろうから、当時の「最先端」に
        対して積極的に飛び込んでいく「姿勢」というものは、やはり賞賛に値する、
        という事になるのかなあ。ただ、こういう「行動」というものは昭和の時代の
        ミュージシャンが必ずや抱いていた「欧米コンプレックス」でして、それは
        スパイダースがキンクスをやりたい、吉田拓郎がボブディランをやりたい、
        はっぴいえんどがバッファロースプリングフィールドをやりたい、チューリップが
        ビートルズをやりたい、GAROがCSN&Yをやりたい、サンハウスがヤードバーズを
        やりたい、井上陽水だとハードロックバンドのグランドファンクレイルロードを
        そのまま「傘がない」としてデビューしてしまうだとかw、そういった「模範」
        であるとか、悪く言ってしまうと「パクリ」なのであって、後から元ネタを
        知ってしまうと、あまりにもそのまんまだったりするんで急に色褪せて見えたり、
        脱力してしまう、という事はありますです。
      • 3160. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:29
      • 特に佐野元春は「元ネタ」だらけの人でしてw、ビリージョエルだったり、
        ブルーススプリングスティーンだったり、スタイルカウンシルだったり、
        松田聖子に曲書いたらバディホリーそのまんまだった、とかw、ちょっとねぇ、
        洋楽好きな人ほど、だんだん離れて行ってしまった様な記憶があります。
        しかし「音楽評論」の世界では褒められ続けてますねぇ。まあ、大滝詠一が
        ナイアガラトライアングルに入れてあげたり、伊藤銀次がブロデュースして
        たり、といった人物関係で「はっぴいえんど人脈」としてカテゴライズされた
        ことが大きいです。私は、このはっぴいえんどの二大巨頭、大滝詠一と細野晴臣
        は好きなんですけどね、「はっぴいえんど史観」というものは大嫌いでしてw
        後は、以前から書いてますけど「影響元がはっきりしてる人ほど褒められる」
        という日本独自の「評論文化」の存在ですね。これは文学でも絵画でもずっと
        そうだったので、そのまま音楽にも適応されてしまっていて、未だに解消できて
        いない問題の様に私は観察してます。確かに「影響元」を指摘するくらいでしか、
        駄目な評論家って原稿用紙を埋めることができないですからねw
      • 3161. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:30
      • ただし「ライブ」が圧巻というのは同意ですねぇ。
        完全に自分はブルーススプリングスティーン気取って、バックバンドをボスの
        Eストリートバンドに見立ててやってはいるんですけどw、演奏のレベルは最近の
        ロックバンドなどとは比べ物にならないくらい凄いです。
        この間、大滝詠一の83年の西武球場でのライブ音源が発掘されてCDで出たのを
        買ってきた話をしましたけど、あれも野球場にクラシックのフルオーケストラ
        全員呼んで、やってるんですよw だから管理人さんもお書きになってる通り、
        音楽産業が景気良くて、儲かる商売だったから出来た側面は確実にありますね。
        あと、思い出したけど私は佐野元春のラジオ聴いててマーシャルクレンショウ
        というアメリカの新人を教えてもらった。だから確かに海外に「アンテナ」を
        常に張っていてキャッチする能力が非常に高い人だったとは思います。
      • 3162. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:31
      • そんな「憧れのハワイ航路」的なねw、日本人の海外コンプレックスというものは
        バブルから平成にかけてすっかり無くなってしまいまして。
        結局、J-POPというのは「自給自足」ですからね。ドメスティックで海外の存在
        なんて無視できる、つまりは「ガラパゴス」化があらゆる分野で、どんどんと
        進んでいったのが「平成」であった気がします。
        で、じゃあ日本独自の「オリジナリティ」をついに発見したのか? というと、
        そうではなかったところがガッカリでして、これについては以前も書きましたが
        明治の文部省唱歌や作られた童謡の復活、という言葉で説明できてしまう。
        復古的と言うよりも、明治の「近代化」への回帰ですから、やっぱり借り物の
        「西洋」のモノマネが濃厚に入って根無し草的である。オリジナルを探すならば
        それは「歌詞」なんだけども、しかしこれまた文部省唱歌的な「きれいごと」を
        本来はアウトローであるはずの芸能人がなぜか歌っている、という倒錯した
        現象。しかし、つんく♂だけは昭和からの「歌謡曲」の伝統から切れずにいた。
        だからこそ、J-POPの「軽さ」からは無縁でいられました。
      • 3163. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:31
      • この「歌謡曲」の伝統が持つ「歌謡性」。これまた説明は難しいんですけどね、
        「J-POP」という別のものを参照することで、自然と見えてきます。
        まあ簡単に言えば、音楽的には土着的な「民謡的」なものを排除しようとしない、
        歌詞的には「きれいごと」ではなく「アウトロー的感性」で時代を捉えていく。
        その考え方で見ますと、今回例に挙がっている日本のミュージシャンで、
        「歌謡曲」と言えるのは、吉田拓郎、サザン、ユーミン、中島みゆき。
        ユーミンはちょっと微妙なんですけどね、J-POPの元祖的な、つまりは土着性が
        あんまり感じられない人でして。しかし「歌詞」を読むと「きれいこと」は
        書いていないのでw、やはり「昭和」の人だなあ、と。
        そう考えると佐野元春って異色ですねぇ。こちらは完全な土着性皆無。
        「歌詞」もね、さすがに「きれいごと」は書いてないんだけども、しかし大衆の
        生活が垣間見れる様なリアリティには欠けている。なんか同時代の人として、
        村上春樹の初期の、日本なのかどこなのかさっぱりわかんない「架空の町」
        みたいな風景を書いてた気がする。そしてそれは春樹の文体が海外小説の翻訳調
        だったのと同様、やはり「アメリカ」への憧憬が強く感じられる。
        確か近年もアメリカの田舎町のウッドストックかなんかに住んで、CD出してた
        はずです。だから「歌謡性」なんてあるはずがなくて、しかしその「欠損」が
        「J-POP」とは成り立ちが違うわけだから、やはりこの異色の「個性」は、
        珍しいという意味において評価すべきかもしれませんねぇ。
      • 3164. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:32
      • 佐野元春ってヤングジャパンでしたよね。私は、妹分の白井貴子経由で最初に
        知った様な記憶も戻ってきたw そしてレコード会社はエピックソニー。
        私はエピックソニーだと完全に「モッズ」というバンドを贔屓にしてまして、
        というか、今でも日本のロックバンドの最高峰という評価をしてる人達で
        ありまして、というか大ファンでしてw、私はモッズの森山さんの前に立ったら
        今でも中学生に戻って「憧れのお兄さん」を仰ぎ見る感じになって何も喋れなく
        なる自信があるw このモッズというバンドはね、現在全く無視されてます。
        80年代の日本の音楽を振り返る、みたいな雑誌の特集からもいつも省かれてる。
        これは、やはりモッズというバンドは「歌謡性」が「濃い」んですよ。
      • 3165. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:33
      • だからシャ乱Qと非常によく似ている感じがしまして、音楽そのものは似てない
        けれども、海外音楽の影響を色濃く受けながら、バンドとしての技量も天下一品
        で、歌も演奏もムチャクチャ上手いし、優れた歌詞が書けて凄く良い曲を作れる、
        という「完璧」な人達なんだけども、評論家からはその「歌謡性」の「濃さ」に
        よって、ロックバンドではなくて歌謡ロックバンド、みたいな蔑み方で見られて
        しまっている。いや、そういう人達こそが「日本独自」の存在という意味で、
        オリジナリティに溢れているはずたろう、と私は思うんですけど、なんかね、
        「ロック」というよくわからないジャンルにおいては「歌謡曲」要素入れると
        はい、だめー、とゴミ箱に捨てられるらしいんですよw
        まあ、そんな評論家連中がまだ沢山生きてるから、しばらくはモッズもシャ乱Q
        も、正当な評価はされないでしょう。しかし、将来においては必ずや逆転する。
        これだけは大見得切って「予言」という単語を使わせてもらいたいw
      • 3166. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:33
      • さて、ちょっとねぇ、こういう話こそ私はしたかったのだ的なw、やはり今回
        みたいに色んなミュージシャンの名前を出してもらえると、全員について
        何か語りたくなってしまうしw、書かれてない人達まで思い出してしまって、
        一向に埒が明きませんのでw、そろそろ次のお題。^^

        ※3147からのSONYさんのお話ですけども。
        管理人さんの分析で当たってると思いますねぇ。瀬戸社長だってワーナー閥で、
        昨年度の3月までで退いてしまいましたからね、まあ、SONY閥は凄く強くなって
        いる、と思われます。しかしですね、私も前から書いてきましたけど、ここ数年
        SONYもワーナーは眼中になかったと思うんですよ。それくらい業績に差が出来て
        しまっていた。だから対抗馬はユニバーサルだけに絞られているんだけども、
        ユニバーサルは更に「強い」んですよ。今年もクイーンの過去のアルバムがばか
        売れ状態だしねぇw、ユニバは東芝EMIを吸収できたから、ビートルズやクイーン
        といった日本で確実に「売れる」カタログが揃っている。カーペンターズや
        ローリングストーンズまで所属してますからねw
        だとすると、未だにユニバーサルの所属タレント一覧に載ってる吉川友さんの
        派閥が最強なのではないか、なんてw
      • 3167. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:34
      • あと、SONYについては面白い話がありまして。と言っても私が発見してニヤニヤ
        してるだけですけどもw、あの、アプガ(2)の島崎ゆりあさん。ご承知の通り、
        AISというSONYが作った「なぜか、つんく♂曲をメインに歌い継ぐためのグループ」
        に在籍していたわけですが、今でもSONYとの関係は保ってるみたいなんですよね。
        というのは、尾崎豊さんをよく弾き語りしてるわけですけども、尾崎豊という人は
        モッズや佐野元春同様にエピックソニーの看板歌手でありました。
        でね、好きになったきっかけは「ケミストリー」のコンサートを観に行ったら
        尾崎豊の「卒業」(こぶしファクトリーが残心という曲でパクってましたw)を
        カバーして歌ってた、と。そこからファンになりました、という事なんですけど、
        もちろんケミストリーもASAYAN末期のSONYオーディション出身で今も在籍してる。
        まあ、AIS時代に招待券を貰ってケミストリーをタダで観るw、というのは何も
        おかしな話ではないわけですけども、この、ゆりあの受けたアプガ(2)オーデ
        では他にも尾崎豊を熱唱してる子がいましたし、ゆりあは合格してからも尾崎豊を
        配信で歌って見せたり、ブログで長々と尾崎豊の素晴らしさを書く、というのは
        ですね、これは以前、岡井ちゃんがやっていたボウイの宣伝みたいな話が絡んで
        いる様に思うんですよ。つまり、今の若い子にも「伝説の存在」として知って
        もらって、カタログをリマスターかなんかして売るだとかベスト盤商法をやる
        だとか、そういった計画がある様に見える。
      • 3168. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:35
      • アップフロントってケチだったから、他所が版権持ってる曲なんて、メンバーが
        バースデーイベントで歌ったとしてもDVDには収録しなかったりねw、そういう
        「内向きさ」に慣らされてた面があって、だからこそ岡井ちゃんの例はわかり
        易いビジネスであって、実際にあの時のボウイの曲は確かDVDにも入っている。
        しかしアプガ(2)の配信見てると、かなり「なんでもあり」なんですよねぇ。
        鍛冶島さんもゲーム実況の動画撮る度に、鼻リコーダー吹いてますけども、
        最初はやはりつんく♂曲が多いなあ、なんて思ってたけど最近はもう、ありと
        あらゆる「他所」の曲をどんどん鼻で吹きまくってましてw
        これはYU-MがしっかりJASRACにいちいち報告して金払ってるという事なのか、
        あるいは先に述べたゆりあのケースの様な、「宣伝」とは言わないまでも、
        なんらかのwin-winの契約でも各所と結んでいるのか、定かではないですけど、
        かなりYU-Mでは「自由度」が高くなっている様に見えます。
      • 3169. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:35
      • ゆりあの弾き語りについて、もうひとつ付け足すと、やはり「欅坂」の楽譜も
        あの子は持ってましてw これも自分でわざわざ買ってないと思いますねぇ。
        ギター楽譜って、作る人が適当に耳で拾ったコードが書いてあるだけなのに、
        なぜか異様に値段が高いですからねw、しかもその採譜が明らかに間違ってる
        ケースも多々あるというw、よくわかんない「本」なんですけども。
        そんな話はともかく、ゆりあは尾崎豊と欅坂の楽譜を持っているぞ、と。
        両方ともSONYさんが権利持ってるぞ、とw
        ブログではケミストリーの名前も出しちゃうぞ、とw
        だからこれは、ゆりあってAISは解散してしまったけども、ある意味「円満退社」
        なのであって、シャ乱Qの主だった権利をSONYが持っているだとか、そもそも
        なんでSONYのグループがつんく♂曲ばかり歌ってたのか、とか、ポッシボーが
        切り開いたAKIBAカルチャーズ劇場を主戦場にしてたのはなんでなんだ、とかw、
        まあ、総合的に考えれば「つんく♂案件」としか考えられないですよねぇ。
      • 3170. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:36
      • そして、つんく♂案件なんだけどSONYだから「欅坂」も自動的に付いてきます、
        というw、いやあ、なかなか複雑な時代になって参りました。
        だからまあ、橋本Dの中間管理職としての悲哀も充分に理解できますよw
        ただ、なんか最近、まったく見ないですよねぇ。
        あと、アプガ絡みで言いますとタワレコの社長もね、付き合いでハロプロの
        新曲のリリース告知くらいはするんだけども、あまり昔の様には、ハロプロに
        言及しなくなっている気がする。そして私の予想通りにCDジャーナルは「季刊」
        となってしまうそうで、これは出版業界の常識としては「季刊」になりますと、
        年4回はまず、出ないw 少なくともだんだん不定期になって行って、知らない
        うちに廃刊になっている。これは広告で支援しなかったアップフロントが悪い、
        という、TopYellの時にも書いたはずの批判を再度、書いておきたいw
      • 3171. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:36
      • こういうドロドロした感じの業界裏事情、というのも私としては面白いんです
        けどねぇ。昨晩書いた「物語」という概念は、こういう話だって含むわけでして、
        とにかく「対象」を観察する事で、何らかの「物語」を観察者が「読み取る」。
        「物語論」というものは、ひと言で書けばそれだけの話ではあります。
        だから私なんて、この2年間ほど「ハロプロ」という「対象」を観察しまくって、
        そこから発見した「物語」をずっと書いてきた、とも言える。
        しかし、それをやってたら「恐ろしく憂鬱な物語」になってしまった、というw
        たぶん管理人さんもそんな「物語解析者」であって、一企業の「栄枯盛衰」の
        「衰の巻き」みたいな物語を発見してw、楽しく観察してたんだろうなあ。^^
        これは古代中国のなんとかっていう国みたいだ、みたいな楽しみ方w
        いや、私は「物語」なんだから、そんな「悲劇」や「バッドエンド」だって
        許容できるんですよ。それが「出来ない」という人はですねぇ、まあ、さっさと
        観察を放棄するしかないだろうし、観察もせずに「ハッピーエンド」ばかりを
        夢想してる、というのではねぇ、それは「物語」とは言えない。
        やはり「物語とは、読み手が対象から掘り出すものである」。
        「読む」という事をやってみせないとね、発掘もできないわけですよ。
      • 3172. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:37
      • ※3150
        あー、M-lineという名前だと、そのファンクラブ対象外の人の記事がおかしく
        感じられる、みたいな話ですよね。まあ、だから今度はアップフロントという
        名前だと、やはり記事としておかしく思えてしまうものが出てきてしまう、
        というリクエストなので、整合性というものは関係ないと思うんですよ。
        まあ、私の一番の懸念は「デザイン的」な意味での判別しにくさ、ですので
        例えば「癒してアップフロント」を「癒してUF」に変えてもらうだけでも
        構わないんです。ただ、だったらよりアバウトな「OG」の方が矛盾が少なく
        なるんじゃないかなあ、と。中島卓偉って女じゃないぞ、なんてツッコミはw、
        当たり前過ぎるので、問題とはならずに笑えるだけ、みたいな。
        しかし、他所の「BIG ファン」の人だとかをね、アップフロントという名前の
        ところで記事にすると、これは混乱していく様に思う。
        「癒してUF関係」とでもすればいいのかなあ。「関係」ってなんだよ、というw
        ツッコミも「込み」で、案外目立つネーミングかもしれません。
        まあ、見た目重視で「アプガ」と被らない名前でよろしくです。m(_ _)m
      • 3173. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:38
      • ※3151
        「ほのうさ」いいですよねぇ。
        私は最近、ほーちゃんとちーこで道重さんのバックでララピピを踊って欲しいと
        いう夢を描いてたりしますw あの二人ならば「うさやし」と「うさとう」の
        コンビに匹敵する破壊力があるんじゃないかって。^^
        でも、新年度になってから、ちーこが大人っぽくなってきましたねぇ。
        ブログでも、何やら自分の中で何かが変わりつつある、的なw、思春期特有の
        自分の内面の変化に戸惑っている様子が、克明にレポートされていまして、
        いや、何度も言ってますけど、ホント、ちーこのブログは読み応えがあります。
        もはやあれは純文学ではないか、なんて真面目に思ってるんですけどねw
        ほーちゃんはまだまだ「子供」らしくて、しばらくは無弱気さだけを楽しめそう
        ですねぇ。ただ、これまた「変化の兆し」を見つけるのが楽しいわけでしてw、
        私はそんな「成長を見守る」というのも「芸能」だなあ、と思ってますねぇ。
        身内でもない子の成長ドキュメントがほぼ毎日、観察できますからね、これは
        良い意味で「見世物」として成り立ってる。つまりは「芸能」なんだろう、と。
      • 3174. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:38
      • ※3152
        春泥氏はやはり鋭い人でしたねぇ。^^
        芸能人発信の「口コミ」に至るまでの宣伝方法の変遷を的確に掴んでますし、
        そしてこの「口コミ」が今や「相互宣伝」という複雑さを呈してきていて、
        それ故にその「効果」に疑問を抱く、という思考は鋭いとしか言いようがない。

        たとえば、このところ例にばかり出してますけど、鈴木愛理さんが欅坂のファン
        と言ったところで、愛理さんのファンは欅坂のCDを買うのだろうか?
        逆に欅坂のファンは愛理を好ましく思って、ライブに行ったりするだろうか?
        私は、どちらもない気がしますけどねぇ。
        むしろ双方のファンから反感を買ってしまってるんじゃないか、なんてね。
      • 3175. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:39
      • 空気の比喩もいいですねぇ。「空気のなかに混じる嘘くさい臭気」。
        これね、私なんて全部が全部、嘘くさく思えてしまっているわけですよw
        もはやすべての「宣伝」というものが「ウソ」に見えてしまっている。
        ただね、この芸能人口コミ宣伝という新しいビジネスモデルを開拓したのって
        辻ちゃんだと思うんですよね。いわゆるブログでのステマのお仕事。
        これがね、炎上も計算済みで、ことごとく「成功」している様に私には映る。
        彼女はね、とんでもなく「上手い」んですよ。
        「宣伝」という事はすぐわかるんだけども、「嫌らしさ」を回避できている。
        だって、「炎上」も彼女の本業であるステマに対しての炎上ではないわけです。
        まったく関係ない辻ちゃんが作った「料理」であるとか、赤ちゃんの抱っこの
        仕方だとか、宣伝したい「商品」とは関係ない部分を炎上させて、読者を
        更に呼び込んで、結局はチラッと写ってる商品をとんでもない数の閲覧者全員に
        見せることに成功してしまっているw いや、もう「トッププロ」です。
      • 3176. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:40
      • だから辻ちゃんの開拓した方法にひとつのヒントが隠されてるはずですよね。
        私も不思議と「商品」についての嫌悪感を抱かずブログを読む事ができている。
        宣伝とはすべてが「嘘くさい」はずなのにw
        あれは凄く高度なテクニックだと思うんですよ。
        そしてアンチも含めて、未だにファンをどんどん増やしている様に見える。
        それくらい彼女の日々の行動が気になる、という人が多いわけで、まあ、これは
        辻ちゃんは「一流芸能人だから」という結論になってしまうのかなあ。
        最近も、コストコだとかIKEAだとか、昔からやってんだけども、宣伝兼ねて
        「お店」に行くわけですよ。すると、ちゃんとスーパーの「壁面」の写真を
        撮ってくるわけw でっかいスーパーの壁には店の名前のロゴが大きく貼り付けて
        あるでしょ、あれをフレームに必ず収めて写真を撮る。
        スーパー行って、そんなものを撮る主婦がどこにいるんだよ、というねw
        しかし、観る側としては抱いてる赤ちゃんのかわいさに目が行くんですよ。
        だからコストコとかIKEAといった「ロゴ」は風景になってしまって、あまり気に
        ならない。いや、これね、凄いテクニックを身に着けてしまってますよ。
        あの焼きそば食えないだけで泣いてた子がねぇw、しっかりと賢いお母さんに
        なって、タレントとしても「超一流」の地位を保っている、というのはねぇ、
        私としては感激しちゃうところでもあるんですけどねw
      • 3177. 長文の人
      • 2019年04月28日 22:41
      • それでは、なんだっけ。
        いや、もうね、平成最後のお祭りだと思ってもらってですね、どんどん皆さん
        書いてやってください。^^ 高木紗友希さんもね、平成の嫌な思い出を全部
        吹っ飛ばすライブにしたい、とか書いてましてw、嫌な思い出が沢山あるんだろう
        なあ、と感慨深かったんですがw、皆さんもここぞとばかりにハロプロや昨今の
        芸能界に対する不満などをw、ぜひとも書き綴っていただいてですね、年末の
        大掃除的なやってやった感と共に、令和の夜明けを迎えましょう!


        P.S.
        今日のブログは美希ちゃんの指導のもと音声入力にて書き上げました。
        読み辛い所も多々ありますが解読よろしくお願いします。笑

        #握力無くなったから #音声入力 #解読 #よろしくお願い

        森戸知沙希。
      • 3178. 管理人
      • 2019年04月29日 17:35
      • ※3151
        あらららら・・・

        困っちゃいますね~
        (^o^;)
      • 3179. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:26
      • (2月に書いて、途中で面倒臭くなって放っておいた文章に加筆したものです)




        『擬似恋愛という人間の精神状態に関する考察と提言』


        えー、今回は先延ばしになっていた「擬似恋愛」についての総括をまとめて
        書いていきたいと思うんですけれども。
        ※2587でフフフ氏も続きを楽しみにしてくれている様ですし、管理人さんの
        ※2579辺りのお話とも関係する部分です。
      • 3180. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:27
      • 今までの話に私の見解というものを付記して、いきなりまとめますが、

        ・擬似恋愛というものはそれが「健全」なものであれば当然存在価値のあるもの
         であって、例として10代の少年少女が芸能人に「異性」を感じて応援する事で、
         将来の本物のリアルな「恋愛」を経験するまでの「通過儀礼」的意味を有して
         青少年の心理的成長に寄与する「健全」な体験と成り得る。

        ・現代社会では男性の草食化、女性の肉食化、といった生物としての「人間」に
         大きな変化が起きている時代ではあり、上記の「10代の少年少女」だけには
         留まらない「擬似恋愛」の「需要」というものが認められる。
         したがって、昔の「常識」を当てはめるのは酷なのかもしれず、私としては
         20代の若者にも、この「通過儀礼」としての有効性を認める事はやぶさかでは
         ない。しかし、ハロプロメンバーの卒業時期とも認識されている25歳前後まで、
         とするのが、社会の共通認識としては妥当なのではないか。
         それは対象の25歳を過ぎて卒業したメンバー達も「表向き」には恋愛解禁という
         「設定」を公言しているからであり、「擬似」とはいえ、対象のタレントが
         「リアル恋愛」に移行しているのに、擬似恋愛感情を抱くファンの側が25歳を
         過ぎてもモラトリアムに留まる、というのは、対称性が崩れているからである。
      • 3181. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:28
      • ・これらの私の「見解」というものは、上記の様に社会の「共通認識」としての
         提言なのであって、当然、そんなものを無視して25歳を過ぎても、いや、30代
         でも40代でも「擬似恋愛」を芸能人に投影してしまう人間は出現してしまう。
         しかし、ある程度の「共通認識」さえ確立できていれば、それらの人達に対して
         「色んな人がいて良い」などという相対論に陥る事なく「批判」ができる。
         批判というよりは、もっと簡単に「軽蔑」してやる事こそがその人達にとっても
         「親切」なのであり、社会というものは人権派的相対論の「きれいごと」では
         全く救済されない「現実」というものが確実に存在するのである。
         しかも、こういった「幻想」の様な、自らの「心」が生み出してしまう現象は
         歳を取れば取るほど厄介なものとして固定され、精神病との境界線も曖昧に
         なって確実に対人関係や社会生活において軋轢を起こしてしまう。それらを
         擁護してしまう言論というものは、まさに「きれいごと」を言ってる自分に酔う
         だけの効能しかないのであって、社会の「ひずみ」の解決には全く繋がらない。
      • 3182. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:28
      • ・以上の話は、年齢を重ねても「擬似恋愛」という現実からの逃避を続ける人間の
         増加を多少は抑制できるだけでなく、対象である芸能人たちにとってのリスクを
         減らす事にも寄与する。それは芸能人の所属している「芸能」の価値を高め、
         いらぬ偏見を排除する事にも貢献できる話となる。「気持ち悪い」と必ずや世間
         からは思われてしまう擬似恋愛ファンが、あくまでも少数派の「異端」であれば、
         世間も例外として扱ってくれるはずだが、ファン層の大多数がそうだ、などと
         思われてしまったら、その「芸能」の価値も消滅してしまう。
         当然、その芸能に従事しているタレントたちの社会的評価も低くなるし、先に
         述べたそれらの「気持ち悪い」ファン達による精神的や物理的な危害、という
         「リスク」も増大し続けるだけである。これではいずれタレント志願者すら
         いなくなってしまい、その「芸能」の滅亡までも示唆してしまう。

        以上、4項目の「まとめ」ですけれども、ここまでよろしいでしょうか。
      • 3183. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:31
      • それでですね、今回は、

        「では、どの様に異性の芸能人を応援すべきなのか?」

        という、いわば「結論」を書きたいと思ってるわけです。
        この「問題」は遡ること、※2104から※2117までの(^▽^)/さんへの返信、
        あるいはもっと遡るならば※1984から※1996までの管理人さんへの返信辺りから
        考察を開始した重要課題でしてw、もちろんもっと考え続けるべき途中経過の報告
        に過ぎなくなるかもしれないんですが、一応の決着を付けておきたい。

        さて、すでに示した様に「擬似恋愛」的な応援は「異端」の位置に留まるべきで
        ある、という「前提」を元にするならば、「擬似恋愛」以外の「応援の仕方」を
        「正統」として確立しなければなりません。
        しかしこれは簡単に導き出す事が出来ます。というのは「擬似恋愛」の要素さえ
        全て削り取ってしまえば、残されたものこそが「正統」という話に自動的になる。
        では、芸能人に対する「応援」から「擬似恋愛」を取り除くとどうなるのか?
      • 3184. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:32
      • 以下、列挙していきます。

        ・その芸能人が「売り」としている「芸」を賞賛する。

        ・その芸能人の「魅力」、これは容姿や体型や性格といったパーソナルな要素に
         関する部分だが、それらを「恋愛感情」抜きで、つまりは「赤の他人」として
         なるべく「客観的」に賞賛する。

        ・この「客観的」という単語は、「冷静さ」や「公平さ」を意味するのではない。
         充分に「熱狂的」で構わないし「贔屓目」で判断するのは当然である。
         しかし「擬似恋愛対象」の場合なら、いつのまにか「赤の他人」という意識が
         薄れてしまって「自分だけのもの」などという錯覚に陥るから危険であり迷惑
         なのであって、常に「赤の他人」であり「関係性における接点」など元々存在
         していない、という「当たり前」を確認する必要がある。
         その「当たり前」を自覚出来ていれば、例えば水着写真でもヌード写真を鑑賞
         しても、それは一種の芸術作品を眺める行為と似た「客観」がもたらされる。
      • 3185. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:33
      • ・とは言っても、男性の場合は特に、「異性の芸能人」の肢体を眺めるだけで、
         淫靡な気分になるのもまた当然である。そして「鑑賞」と言うよりは確実に
         「自慰行為」のための「道具」と化す。しかし、それはそれで良いのであって、
         相手が介在しない「自慰」という行為は「恋愛」からは一番遠い現象である。
         若い男性が「自慰行為」の後に謎の罪悪感や虚脱感と共に「我に帰る」。
         これが「恋愛」であるならば、つまりは恋人や妻との「性交」であるならば、
         その様な感情は芽生えず「満足感」だけが残るはずである。
         無論、恋人や妻とのセックスで「自慰行為」と同様の「虚しさ」を感じる人も
         珍しくはないであろう。しかし、それはその「恋愛」が、すでに破綻している
         事実こそを証明しているだけである。

        ・よって、そんな自慰の後の「虚無感」を覚える事が出来るのであれば、それは
         恋愛感情ではない。つまり「擬似恋愛」の対象としては芸能人を捉えていない、
         という立派な証拠となるのである。よって、この様なオナペットとしての需要
         がある芸能人に対する「応援」とは、「客観的」に対象人物を突き放している
         からこそ成立するのであり、「擬似恋愛」をめぐる諸問題からは逃れている。

        以上、「芸」に関する「賞賛」は当然としまして、「異性」を意識する、という
        局面においても、「客観性」を維持できているのであれば、それは擬似恋愛とは
        ならずに健全な「賞賛」、つまりは健全な「応援の仕方」という事になります。
      • 3186. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:34
      • しかし、ここで問題となるのが「客観性」を堅持したまま、「赤の他人」との
        境界線を突破してしまう、という非常にややこしい心理というものも、人間には
        存在するという事です。これは、ひと言で云えば「犯罪的」な話であって、
        レイプ犯が対象の女性をただの「物体」として見ているからこそ、凶悪な犯罪と
        なってしまう、といったケースです。これを単なる「例外」として処理できれば
        簡単なのですが、私の観察によればこの部分こそが現在、問題として立ち現れて
        いる様に見える。簡単に言えば、山木さんの属するカレッジコスモスの歌にも
        使われている「記号」という概念です。
      • 3187. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:34
      • 一番簡単な例を挙げるとすれば「制服」です。
        特に女子高校生の「制服」というものに、昭和の時代からは想像も付かない様な
        「過剰な意味性」というものが付加されてしまったのが平成という時代でした。
        昭和の大ヒット映画である「セーラー服と機関銃」の題名や内容というものは、
        「女子高校生」と「ヤクザの抗争」という、およそ不釣合いな「対比」こそが
        目的なのであって、ロートレアモンの「コウモリ傘とミシンが出会う」という
        言葉通りの、シュールリアリズム的効果を志向している。この「セーラー服」と
        いう単語が「性的」な意味を持つようになったのは、恐らく秋元康の作詞した
        「セーラー服を脱がさないで」という歌の存在が契機となっているはずです。
        これも昭和時代ではありますが、その影響力というものはアンダーグラウンドに
        潜伏していて、だからこそ宮崎勤の事件をきっかけに「ロリコン」という心理が
        一般に広く知られるほどの大騒ぎとなる。そして完全に市民権を得てしまった
        様に見えたのが平成に入ってからの「ブルセラショップ」の隆盛でありましょう。
      • 3188. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:35
      • 無論、このブルセラショップは世間から叩かれ、規制条例も出来てすぐに排除
        されていきますが、そのような「店」が流行った、あるいは女子高校生が小遣い
        稼ぎとして自分の下着や体操着や制服を売る、という行為に罪悪感を持たなかった
        という「事実」は残るわけです。だから今度こそ、再び「地下」に潜ろうとも、
        それは単に見えにくくなっただけで、その「存在」がもはや否定できなくなって
        しまう。昭和だろうが大正だろうが明治だろうが、こういったフェティシズムや
        ロリータコンプレックスといった人間心理は常に存在はしていました。しかし、
        それらは江戸川乱歩の小説や澁澤龍彦の評論に見られる様に「異端」としての
        地位をしっかり守っていて、それがまさか「日常」に溢れている、などと考える
        人はいなかったものと思われる。ロリコンについてだけ言えば、昔は結婚年齢が
        「15で姉やは嫁に行き」が当たり前なので「異端」ですらない。これが「幼女」
        となると流石に「異端」として「日常」から排除されたり、「存在」自体を
        知らない人が絶対的多数派だったはずです。だからこそ西洋では「異端文学」が
        「文学」として成立していたとも言えるわけで、それらの翻訳を通して、
        マルキド・サドやユイスマンスの作品、あるいは現在ビヨーンズが舞台をやって
        いる「アリス」の作者ルイスキャロルの手記などが我が国にも紹介されていく。
      • 3189. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:36
      • こういった「異端」を「文学化」したり「絵画化」した上で「昇華」させる、と
        いう作業は、社会不安を煽るものではありません。
        むしろ、きちんと「異端」という「席」を用意してあげて、そこに座らせる事で
        「芸術」や「娯楽」として「非日常」に隔離されます。
        しかし、「ブルセラショップ」が「流行」した、という事実は、それが「日常」
        として存在している事を天下に示してしまった。そして一度「存在」が確認
        されてしまうと、いかに地下に潜ろうが人々の記憶からは消せない。
        消せないどころか、常に「浮上」の機会を窺ったまま、それはひとつの「文化」
        となって、ひっそりと目に付かない場所で強化されていく。
        そんな「新しい」と言ってよい「文化」が堂々と浮上して、その潜水艦のデッキ
        に誇らしげに刺さった旗を風になびかせたのが、00年代の終わり頃。
        その「旗」には「AKB48」と書かれていた---------------
      • 3190. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:38
      • もちろんAKBだけのせいにする、という単純な話ではありません。
        この女子の「制服」という「記号」が「性的な意味」を暗示する、という状態に
        まで行き着く事になった最も大きな要因とは、それはアダルトビデオにおける
        「制服もの」だったり、アダルトアニメやエロ漫画といった「二次元」の世界に
        おいて発展した「表現」というものになるはずです。
        しかし、それらはやはり「日常」からは「隔離」されていた様に思える。
        いや、本音を言えば私はアダルトビデオやエロ漫画における「過激化」こそが、
        我が国の文化に最大の打撃を与えた「A級戦犯」である、と思っている。
        以前も書きましたが「秘すれば花」の原則を破って、「寸止め」すらしていない
        直接的表現というものは「エロス」という高級なものでは決してなく、ただの
        「退廃」を意味してしまう。品格を失った「ポルノ」というものは、実は本来の
        目的であるはずの「エロティックさ」すら失ってしまって、見慣れれば何も
        感じなくなる。動物の交尾を眺めていても誰も興奮しないのと同じで、人類の
        「性欲」そのものの発現さえも抑止してしまう。いや、事態はすでにそうなって
        しまっている、と私は考えているわけですが。
      • 3191. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:39
      • しかし、今回私が指摘したい事柄とは、その話とはまた少し違うのです。
        アダルトビデオやエロ漫画であるならば、少なくとも「個人」のプライベート
        空間における「秘め事」的な地位を今でも保っているはずである。
        「公共」の場や「日常」の空間にふさわしい存在とは決して言えないでしょう。
        しかし「性的」という「記号」である「制服」を着せられたAKB48という存在は、
        堂々と公共の場や日常空間に進出していった。
        単にテレビに出た、というくらいの話ならば「泡沫的現象」として今頃はみんな
        忘れているかもしれない。しかし「国民的アイドル」という冠を付けられて、
        レコード大賞を何度も取り、紅白歌合戦の常連となり、テレビを付ければ見ない
        日はない、というくらいにまで「日常」に浸透してしまった。
        こうなると無意識の領域で人間というものは、そこに貼り付けられた「記号」を
        受け入れてしまう。そしてそれは「性的」という意味を暗示しているのだから、
        「性的なもの」=「制服」=「若い女の子」という等式をも受け入れてしまう。
      • 3192. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:40
      • さて、彼女達の元ネタは秋葉原で起きていたメイド喫茶ブームでありました。
        これは「二次元」である漫画文化が発祥であると思われる。
        現在、田中れいなさんが沢山やっている様な「2.5次元」の様な意味で、漫画の
        世界から飛び出した「コスチュームプレイ」を行う女の子が客の接待をする。
        これは「メイド」という存在が、今の時代においては現実味が全くないわけで
        あるから、いくら「ブルセラショップ」の様に「日常空間」に出現したところで
        ファンタジーを模している事くらいは誰でもわかる。
        しかしこの「コスプレ」が「学校の制服」だった場合にはどうなるのか?
        これはファンタジーではなく「リアル」に元々存在しているものである。
        しかし、「わざと着てるんです」というフィクションを纏っている。
        という事は、単なる「学校の制服」という日常的なものが、「メイドの制服」と
        同じファンタジー性を帯びてしまう。ファンタジー、つまりは「幻想」という
        概念は、文字通り「日常」からは切り離されるのが必然であって、この場合で
        言えば「学校の校則によって着なければならない服」という「日常的意味」を
        どんどん失っていく事になります。そして、ではどんな「意味」になるのかと
        言えば、先の「ブルセラ」的な「性的対象としてふさわしい服を着ています」
        という、まさに「記号的意味」だけが残る。
      • 3193. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:41
      • もうひとつ、AKBの元ネタとしては、やはりブームになっていた「キャバクラ」
        という名前の風俗営業店があります。これは単なるお酒を飲ませる昔ながらの
        「スナック」や「キャバレー」とやってる事は同じなんだけども、唯一の違いが
        「素人さんがホステスをやってます」という売り文句であった。
        いや、誰だって最初は素人だし、ホステスになるための資格なんてものはないの
        だから、私は最初、何言ってんだかわかんなかったんだけども、通ってみた人に
        聞いたところ、どうやら女子大生だとか若い主婦の様な人が、アルバイトとして
        働いているお店であるらしい。従業員が全員バイトの身分なので、その分、
        お酒を飲む料金も安い、という「売り」もあるらしく、一時は全国のどこの町にも
        この「キャバクラ」という形態のお店が誕生していたはずです。
        しかし流行った一番の要因は「値段」よりも「同伴出勤」だとか、営業時間後に
        「一緒に帰れる」といった、しょーもない「特典」のおかげと思われる。
        つまり、ロジックとしてはただのバイトであるから、店の女に手を出すな、という
        昔からある不文律には縛られていない、という事になるけれども、実際には店側が
        客を掴んだホステスを簡単に手放すはずがないのであって、これはそんな「幻想」
        を客側に抱かせて、女を「落とす」まで通わせる(実際には絶対に落とせない)と
        いう、一種の「詐欺」を含んだ宣伝文句だったわけです。
      • 3194. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:42
      • 以上、二つのAKBの「元ネタ」。これらが合体して、更に「制服」という「記号」
        を身に着けている、となれば、これは「より過激になる」以外にない。
        サービスが過激、という意味ではなく、我が国の文化に与える影響力が過激に
        なってしまう。結局は様々な「大事だったもの」がこの国から失われていく。

        具体的に見ていきましょう。
        メイド喫茶におけるサービスの「接待」。これが「御主人様、お帰りなさいませ」
        といったファンタジー世界への誘導であれば、面白いね、で済む話かもしれない。
        しかしAKBではそれが「握手会」というものに変貌していて、お目当てのホステス
        に握手をしてもらう事や、名前を覚えてもらう事が「接待」となっている。
        続いて、キャバクラにおけるサービスの「素人がやっている」だとか、お店の
        女の子を連れ出す事もできますよ、という「自分だけの女にできるかもしれない」
        と思わせる客引きの宣伝方法。これがAKBでは、まず「素人云々」の話に関しては
        「プロの歌手ではない」という敷居の低さに直結してしまう。実際に、当初の
        売り文句が「会いに行けるアイドル」なのだから、本来の「芸能人」であれば
        気安く「会える」わけがないのであって、しかも「会話」まで出来るとなれば、
        これはスターでもタレントでもなく、限りなく「素人」に近いという事になる。
        しかし、テレビには出ている、雑誌のグラビアには出ている、という「芸能人」
        でもある。だとすれば、キャバクラ同様に「素人」だけども「人気ホステス」でも
        ある女の子を「落とせる」という「幻想」と同じ意味で、何度も何度も繰り返し
        通いつめる常連客を増やしていく事に繋がっていく。
      • 3195. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:43
      • そしてこの事が、キャバクラの売り文句がもたらしていた、
        「自分だけの女にできるかもしれない」という「幻想」すら育ててしまうので
        あって、実際に指原という子のスキャンダルを見れば、握手会に通っている客と
        「体の関係」を持つまでになって、その相手の客が別れた腹いせに付き合ってた
        当事のメール内容や指原の裸の写真を週刊誌に売る、という、芸能人のニュース
        としては前代未聞の展開にまで至ってしまった。
        ここまで暴露されれば、普通はこんなビジネスは叩かれて終了するはずです。
        しかし終了どころか、その後もAKBは巨大化し、指原などは人気投票で1位を
        何度も取る、といった「狂った世界」に日本という国は突入していきます。
        こういった話はまさに「過激化」である、と納得して頂ける事と思います。
        そして、そのAKB的な「メイド喫茶」や「キャバクラ」である「握手会」では
        AKBメンバーのユニフォームである「学校制服」が用いられている。
        「学校制服」が「性的な記号」と化す事を、確実に推進させてしまったのが
        このAKBの制服なのであって、今や、世の中の女の子は「JK」だとか「LJK」
        といった単語を自分達の特権であるかの様に使用して、そこに「価値」を
        見い出しています。その「価値」が「性的なもの」とは気付かぬままに。
      • 3196. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:44
      • この「危険性」というものを誰も警告しないというのも驚きで、学校の制服
        なんていう日常に溢れているものが「性的」という「意味」を持ってしまった
        のだから、本来であれば即刻、制服なんてものは撤廃しなければならない。
        しかし、誰もそんな指摘はしない。おそらく当の女子高生たちが制服を着る事を
        楽しんでいるから、という理由なんだろうけども、そんな彼女達だってAKBに
        よって高められた「制服の価値」を誤解しているだけなのだから、その危険性を
        諭してやるのが「大人」の務めであるはずです。しかし、そんな「大人」だって
        制服姿のAKBや坂道に夢中になっているのだから、世も末としか言いようがない。
      • 3197. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:46
      • さて、かなり大幅に話を戻しますが、この制服の記号化という「危険性」。
        これが「客観性を堅持したまま、赤の他人との境界線を突破してしまう」話に
        繋がるわけです。つまり、制服が記号化したという事は、それを着用している
        女の子だって当然、記号化してしまう。そしてその記号の意味とは「性的」
        なのだから、女子高生というだけで、あるいは、この間のカントリーガールズが
        なんちゃって制服を全員で着てディズニーランドで遊ぶ、といった行為でさえ、
        「性的対象」として認識される危険が充分にあるという事です。

        そして、最初に提示した様な、
        「客観性を維持できているのであれば、それは擬似恋愛とはならない」
        というテーゼすら、今や揺らいでしまう深刻な情況が、すでに出現してきて
        しまった様に私には思える。それは例えば「新潟のAKBの事件」。
        私はあの事件に詳しいわけではないですが、報道を見る限りにおいて、あれは
        もはや、「擬似恋愛」が「本物の恋愛」に発展して「別れ話がもつれた結果」で
        ある、といった、昔の指原のスキャンダルのケースを用いても解読できない。
        更に「過激化」しているわけで、「芸能人」を「素人」と同一視した結果の様な
        次元はとっくに超えてしまっている。「素人」どころか「物体」でしょう。
      • 3198. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:48
      • つまり、「客観性」というものは対象を「自分とは本来関係ないもの」として、
        だからこそ自分にとっても対象にとっても「安全」であり「健全」であったはず
        なんですが、その「客観性」が極まれば「自分とは関係ない」から、残虐な事
        だって躊躇なく出来てしまう、という「地平」にポンと飛び出てしまう可能性が
        ある。そして、なぜそこまで「極まって」しまうのか?と考えれば、これこそ
        「記号化」の恐ろしさなのであって、
        「制服女子」=「性的対象」=「自慰の道具」=「ただの物体」という、恐るべき
        思考回路を作り上げてしまう、という事なんです。
        最初の方で男子の「自慰」のメカニズムを詳しく説明したのは、今や自慰に使う
        芸能人のグラビアや写真集と「同等の」存在として、「生身の制服女子」が
        一部の狂った人間の中では「記号的に」認識されている可能性を指摘するためで
        あります。無論、「狂った人間」なんてマイノリティである、と高をくくって
        済まそうとする言論はここのサイトでも見られます。つまり、ハロプロとは全く
        関係ない、AKBファンの質が悪い、AKBの運営がダメなだけだ、とね。
        しかし、本当にそうでしょうか? ハロプロとは関係ない話でしょうか?
      • 3199. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:49
      • 昨年のモーニング娘。のシングル「自由な国だから」のMVにおいて、メンバー達は
        実際の高校生は羽賀さんしかいないにも関わらず、すでに24歳の飯窪さんまでもが
        「学校制服」を着せられて、ビデオの中で歌って踊っております。
        しかもこの時の裏話として、振り付けを担当したYOSHIKOが暴露しておりますが、
        当日、撮影現場に行ったら初めて制服を着る事を聞かされた、と。
        最近も和田彩花さんのウェディングドレスに関する暴露話がありましたが、どうも
        ここの事務所は事前に何も伝えずに、つまりその日にその場に行ってみなければ、
        何をやらされるかわからない、という非常識極まりない環境で働かされている。
        山木さんもアチャチャダンスの時に、いきなりバスガイドの格好をさせられて、
        何もわからない状態のまま小旗振って商店街を歩かされた、と語っておりました。
        いや、ここの事務所のタレントに対する扱いの「酷さ」については余談ですので、
        先に進めますが、とにかくダンスを作ったYOSHIKOも知らされぬまま、娘。たちは
        学校の制服を着せられて、踊らされたわけです。
      • 3200. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:50
      • この件は、その後も不思議な現象が多々見られます。この「学校制服」を着て
        テレビで歌ったのは自社番組の「Girls Live」のみ。
        他の収録では、この衣装をかなり改造した様な「制服」には見えない、かといって
        決して「良くなった」とも思えない、昔、着てた様な黒白ストライプをインナーに
        着用してたり、安っぽくてデザインセンス皆無の新衣装があてがわれてました。
        そして丁度その頃、野中さんが突然「留学」と称して「休養」してしまう。

        これはひとつの「説」に過ぎませんが、野中さんはアメリカ育ちなので「制服」
        というものを「抑圧の象徴」の様に受け取っている可能性はある。
        もちろんアメリカにだって制服のある学校はありますが、数は凄く少ない。
        イギリスという階級社会が強固な古い国から、戦争してまでして「独立」して
        誕生した新しい国ですので、イギリス社会の象徴でもある「制服」を批判する
        様な「伝統」というものが、確実にある国なのです。だからそうした伝統教育を
        野中さんが受けて育っていたとしても不思議はない。あるいは、父親の転勤の
        結果としてアメリカで育ったという事ではありますが、彼女の両親もアメリカ的な
        「規律」の少ない「自由」な環境と教育の下で、野中さんを育てたかったのかも
        しれません。ですから、本人なのか親なのかはわからないけれども、このMV撮影
        での「制服着用義務」に怒って、何らかのトラブルがあったと考えると、その後の
        野中さんも出演したテレビ番組では違う服を着て歌ったこと、理由がはっきり
        しないのに2ヶ月弱休養した事、の説明が付く様には思います。
        そして「Girls Live」でMVと同じ制服を着て歌った回では、まだ野中さんは渡米
        前だったはずなのに出演しておらず、一人欠けた状態で収録されています。
      • 3201. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:51
      • ただし、その後、正月のハロコンが野中さん不在で始まったわけですが、
        コンサートのお土産のグッズのひとつである「フォトブック」の様な冊子を毎回
        売ってまして、そこではハロプロの全クループの全メンバーが「制服」を着て
        撮影されていました。出演していない野中さんもやはり着用しています。
        だからやはり「制服拒否」とは関係ないのかなあ、とも思いましたが、しかし
        こういったグッズの撮影というものは相当前から撮っているはずでして、
        そう考えると「制服着用」が「続いた」ことに怒った、という可能性もある。
        まあ、真相はわかりませんが、「自由な国だから」のMV撮影の時期に「何か」が
        あったことだけは間違いないのではないか、と私は考えています。
      • 3202. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:52
      • さて、野中さんの件はともかくとしまして、今書いた様にハロコンのグッズでは
        全グループの全メンバーが「学校制服」を着用していた。
        今まで、「ハロプロ」と「制服」というのは、なかなか結びつかない組み合わせ
        でして、もちろん「ハロモニ」のコントであるとか、「めちゃイケ」の岡村との
        企画も学校を舞台としているから当然「制服」なんですが、それは「必然性」と
        いうものがあるので何も問題はない。笑顔YESヌードのジャケ写も、あれはB面の
        「サヨナラの代わりに」という「おはスタ」の卒業ソングを、最初はA面として
        考えて製作が始まってしまっていたから、と考えれば何も不思議ではない。
        「モーニングコーヒー」や「愛あらば It's all right」も、揃いのスカートは
        着用しているけども、「学校制服」を模している、とは連想できない。
        Berryz工房のセカンドアルバムや℃-uteのファーストアルバムとなりますと、
        これはモロに学校制服をみんなで着ていますけども、彼女達は実際に全員が現役の
        「学生」であったわけで、AKBがメイド喫茶の流れからの「コスプレ」として、
        学生ではない年齢の子達にまで一律に「学校制服」を着せていた「目的」とは、
        全く意味が違うわけです。コスプレとしての制服の目的とは「性的対象」として
        目を向けさせる以外には存在しない。それが「記号化」なのだから当然です。
      • 3203. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:54
      • というわけで、現在のハロプロはなぜか今頃になって「学校制服」をメンバーに
        「着せたがっている」意思の様なものを、露骨に感じさせている。
        写真集などでは昔からよくセーラー服とか着てたじゃないか、と言ったところで、
        それは本人が「学生」の年齢であれば歳相応の服装というだけの話であって、
        今回私が指摘している「制服」の記号化とは関係がない。
        むしろ「記号化」が一番、効力を発揮するのは「コスプレ」の場合なのであって、
        それはアダルトビデオで明らかに25歳以上と思われる子に、制服着せている様な
        作品を観た事がある人ならば理解できるでしょう。
        そして、現在はAKBだけでなく乃木坂や欅坂といった別の秋元系グループもやはり
        「制服」を「売り」としている。彼女達も全員が学生であるはずがなく、つまりは
        コスプレとしての制服着用であります。秋元康が制服に拘るのは、この話における
        最初の発端「セーラー服を脱がさないで」の張本人なのだから当然かもしれない。
        彼は「制服」というものを「性的なもの」として記号化する事に最初に着手して、
        現在も尚続けている、言葉の正確な意味における「変質者」でありましょう。
      • 3204. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:57
      • しかし、そんな「変質的初老男」の薄気味悪い「感性」を、無意識に心にコピー
        転写されてしまう現代の「男性」諸君は、気持ち悪いとは思わないのだろうか?

        いや、記号化とは無意識に作用するのだから、気付かないのは当然なんです。
        「芸能」をはじめとする「文化」が「素人化」して、更にはそんな制服着用の
        芸能人も「性的対象」として「もの」として扱われる危険に満ちている。
        こんなものを、クールジャパンなどと誇ってしまったら、いずれ世界中から
        袋叩きにあうのは目に見えている。令和の御世に代わるのを絶好の機会として、
        この悪しき「制服記号化」を絶滅させなければ、ろくな未来は待っていない。
      • 3205. 長文の人
      • 2019年04月30日 10:59
      • ハロプロがもはや、これらの風潮とすっかり「同化」してしまっているのは、
        何も「制服着用」の頻度だけの問題には留まりません。
        そう、何よりも「個別握手会」といいうシステムこそが、AKB陣営の発明した
        新種の「メイド喫茶」であり「キャバクラ」なのであって、これをハロプロは
        今や本家のAKB以上に強化してしまっている。何度も指摘してきましたけど、
        AKBは人気メンバーであるならば仕事が忙しいという理由で握手会には参加して
        いない。それをファンも怒ることなく、自分の「一推し」が忙しいのは誇りだ、
        などと考えて満足して他の人気のない子との握手の列に並ぶ、という慣習なのか
        何なのか知らないけども、この退廃的で気持ちの悪い「風俗営業」にしては、
        ほんの一部分だけではあるけれども成熟した態度が育っているのかもしれない。
        しかし、ハロプロは個別握手の歴史が浅いし、しかもAKBや坂道から後発の分際で
        客でも奪おうと考えたのか、メンバーには必ず「全員参加」を強制している。
        それがきっかけで病気になったりスタッフと衝突したりといった子が少なからず
        観察できるというのに、止めるどころか年々開催する数を増やしている。
        これを批判できずにAKBや坂道を批判する人間は、全員「ばか」でしょう。
        しかも後追いで「真似」してるんだから、恥ずかしいと思わない方がおかしい。
      • 3206. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:01
      • もちろん今や、この「握手商法」によってかろうじてCDが出せている、という
        音楽業界の衰退、という側面は無視できません。代わるアイデアが出てこない
        以上、しばらくはこの悪習は続くものと思われる。
        ただし、同じ「握手」でも、例えばリリースイベントでしっかりとミニライブを
        やって客に歌を聞かせた後で行うものであれば、これは大昔からある販売方法で
        あるし、客の立場から見ても、「良いものを聴かせてもらった」という意味で、
        本来はタダで見れるイベントではあるけれども「お金」を払ってあげたくなる、
        そしてその「お金」が今は「CD」である、と考えれば、そんなに罪悪感はない。

        ストリートミュージシャンが路上で勝手に歌っている。いいな、と思った人は
        ギターケースの中にお金入れて下さい、なんて慣習ならば、それこそ縄文時代
        からあるのかもしれなくて、リリイベの「ミニライブ」というものは、それと
        全く同じ位置付けである、と言える。
        そして、「CD」というお金を払ってくれた客には握手したり写真撮ってあげたり
        して、ありがとうございます、と御礼を歌手が言うのもおかしい話ではない。
      • 3207. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:08
      • むしろ、野球選手やサッカー選手や相撲取りなどは、練習や稽古が終わった直後に
        ファンに囲まれると、即席のサイン会を「無償」でやるのが当たり前なのであって、
        彼らもスポーツという「興行」をやっている「芸人」ではあるから、ファンに
        対するサービスというものは当たり前だ、という意識がある。
        そんなプロスポーツ選手と較べたら、芸能人は今まで「お高く留まり過ぎていた」
        のかもしれない。よって、あくまでもファンサービスという意味で、しかも
        食い扶ちである「CD」を売るためにも、握手やサインや写真のひとつくらいする
        のは当たり前、という考え方には私も同意できます。
        巨人の松井選手なんて偉かったですよ。練習を真面目にやってヘトヘトのはず
        なのに、人気選手だから報道陣に囲まれる。丁寧かつ、笑いも交えながら、
        数々の質問に答えていく。それが終わると見物のファンがサインを貰おうと、
        長蛇の列を作る。最後の一人まで丁寧に書いてあげて、帽子を取って挨拶。
        その頃にはすっかり野球場も暗くなって、すでに夜になってしまっている。
        あれが一流のエンターティナーだ、という想いは確実に私の記憶に残っている。
      • 3208. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:10
      • さて、特に現在、私が優れていると思うシステムは、DA PUMPやアプガ(2)が
        行っている形態でして、ミニライブをきちんと披露した後に、CDを一枚買うと
        「握手」、二枚だと「全員と写真」、三枚ならば「誰か一人とツーショット」。

        これのどこが優れているかと言えば、二枚買ってくれた人と三枚買ってくれた人に
        対するサービスが逆ではないか?と思わせる点であって、普通に考えれば私などは
        「全員との写真」が一番「価値」が高い様に思えます。
        しかし、そこが優れたアイデアなのであって、ライブをタダで観させてもらった
        御礼にCDを買ってあげよう、と客が思う。しかし一枚だけだと、つまり1080円
        だと、握手で終わってしまって残るものがない。しかしもう一枚上乗せして、
        2160円の「お布施」をすれば、なんとメンバー全員と一緒に写真が撮れる。
        だったら二枚買っちゃおうか、となる人が多いはずである。全員と一緒に自分も
        仲間に入った様な写真が手に入るわけで、客も大満足する。
        そしてメンバー達の負担も「全員」の方が、確実に少ないわけです。
      • 3209. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:13
      • 更に言うならば「誰か一人を指名して一緒に撮りたい」というファンというのは
        3240円もお布施してくれるんだから、一番有り難い様に見えて実はそうでもない。
        グループなのにわざわざ一人の子と写真を撮りたがる、というのはスタッフから
        すれば「要注意人物」でもある。まさに「擬似恋愛」のファンなのであって、
        エスカレートすれば何かトラブルを起こすかもしれない。だから、わざと一番高い
        料金設定にしてしまって、そんなに「ループ」などが出来ない様に初めから規制
        をかけている。しかもこういうファンが増えてしまうと、特定の子だけが疲弊
        してしまう。ライブの後で疲れてるし早く飯も食いたいのに、握手を何度も何度も
        ループしたり、ツーショット写真を何度も撮ろうとしたり、なんて事になると、
        いつまで経ってもタレントは解放されない。だから「一番高い」料金で牽制して
        いるものと思われます。このシステムが現在一番合理的で、メンバーにとっても
        リスクを最小限に抑えられて、スタッフ側としては「売り上げ」にも繋がると
        いう意味で、私は誰が発案したのかは知らないが優秀である、と考えています。
        そして、恐らく多くの「グループ」が導入しているスタンダード方式でしょう。
      • 3210. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:15
      • しかし、翻ってハロプロとなると、最近はミニライブよりもメンバーを分散
        させてトークイベントなどと称して、CDのキャンペーンに行くのが主流であり、
        単なるトークを5分だか10分だかしただけで、すぐに握手会へと移行する。
        これは、あくまでも「ライブの対価」として客が買う、という美しい「建前」を
        ぶち壊す行為なのであって、興醒めなのではないでしょうか。
        本業が歌手なんだから例え、メンバーが揃ってない状態でのキャンペーンだと
        しても、2曲くらいは歌うべきでしょう。実際、アプガ(2)ならば、かじぃと
        ほーちゃんだけで千葉と福岡を回ったけれども、二人だけで歌っている。
        吉川まーちゃんに至っては、秋田のイベントは大抵一人で行くので、ソロで
        歌を披露した上でCDを売っている。「歌手」としての「誇り」、それを今では
        失っている様に見えるハロプロと、「歌手」の「本分」に忠実なアプガ。
        この「違い」は、いずれ大きな「差」となって現れてしまう気がしてなりません。
      • 3211. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:16
      • さて、最後に「擬似恋愛」とも関係の深い「身内意識」について書きます。
        スポーツや芸能という、いわゆる「芸道」をやっている人間のファンになる、と
        いう事は、その対象人物に「身内意識」を抱く事と同義であると言えます。
        「赤の他人」ではあるんだけども、もし本当に「自分と関係ない」と感じて
        しまったら、その人が試合に勝とうが負けようが、舞台の上で活躍しようが
        しまいが、そんな「結果」なんて、どうでもよく感じてしまうはずです。
        しかしファンというのは、赤の他人の出した「結果」に対して、熱狂的になって
        しまうわけで、これはやはり「身内意識」を抱いているとしか分析できない。
        ただし、「恋人」であるとか「妻である」「夫である」なんて「意識」を持って
        いるのだとしたら、それこそ「擬似恋愛」なのであって、「赤の他人」に対して
        失礼であるばかりか、自分の身をも滅ぼしてしまう様な危険で病的な「妄想」と
        隣り合わせの状態であると言えます。実際に福山雅治のマンションに潜入した
        女だとか、スピッツのボーカルをストーカーし続けて、彼を精神的に追い詰めて
        しまった女などは、完全な精神病患者なのであり、そこまでに至るまでの最初の
        引き金が「擬似恋愛」である可能性は非常に高い。よって、いくら「身内意識」
        といっても、異性に対する恋愛感情の様なものは常に排除するべきなのです。
      • 3212. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:18
      • であるならば、この「身内意識」に関しましては自然にブレーキがかかる様な、
        「血縁者」と見立てる方が、理に適っています。
        これはインセストタブーという人間の本能であって、近親相姦というものが
        単に社会的に忌み嫌われる、という事よりも、そんなものを思い浮かべるだけで
        普通の人間は「気持ち悪くなる」という、生まれ持った生理的嫌悪感が大きく
        貢献しています。人間が有しているとされる「タブー」の中で一番、強力である
        とされているのがこのインセストタブーでして、例えば「人肉を食べる」という
        カンニバリズムも広くタブーとして知られているけれども、実際にはそれを
        タブーとはしていない部族がいたり、悲惨な例ではあるけれども、飛行機事故で
        森の中に墜落して生き残った乗客が、飢えに耐えられず他の死んだ乗客の肉を
        食べて生き残った、なんて記録もある。太平洋戦争時の日本軍だって敵の死肉を
        食って生存した人はいるし、もっと言ってしまえば中国人の、特に漢民族という
        のは最初からそんなタブーが無くて、大昔から日常的に人肉を食ってきた歴史が
        存在する。だから南京大虐殺をでっちあげる時に、日本兵は赤ん坊を殺して
        鍋で煮て食ってた、なんていう、自分達がやった経験がなければ想像すらできない
        はずの、我々日本人からしてみたら荒唐無稽としか言いようがない証言をでっち
        上げてしまう。つまり、食人のタブーというものは、生物としての人類にとっては
        ほとんど無いに等しくて、あったとしても文化的な差異の問題に過ぎないのです。
      • 3213. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:24
      • しかしインセストタブーは明らかに存在すると言えて、実際に、わざわざ法律に
        書かなければならない様な「犯罪」としての「正式名称」すら付いていません。
        「犯罪」というものは多発するからこそ「罪名」が次々と作られていくもので
        あって、人間という存在は、他人を殺す事はいとも簡単にやってのけるけれども、
        母親や姉や妹を「犯す」などという行為は、ほとんどやる人がいない。
        だからこれは基本的に「近代的法律外」のイレギュラーな話となっている。
        もちろん全くないわけではないので、実際には古来から大量の資料はあるけれど、
        それらは「犯罪」というよりも神話に見られる様に逆に「神聖な出来事」となって
        しまっていたり、近代以降であれば、それらは必ずや「精神病」としての事例と
        いうカテゴリーで、データとして整理されている。まあ、これもお隣の朝鮮半島
        であれば、かなり頻繁に起きているという資料も存在していて、これを文化の問題
        とみるのか、精神病が多いとみるのかは、現在も論争中だったりするわけですが、
        とにかく他の数ある「タブー」よりは確実に強いものである、とは言えます。
      • 3214. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:25
      • だから、「擬似恋愛」を回避するためには、インセストタブーの範囲内の
        「身内意識」を持つのが賢明ではあります。つまり、お姉ちゃんだとか妹だとか、
        あるいは子供だとか孫といった存在に「見立てる」。
        しかし、これまた難しい問題が横たわっておりまして、そもそも擬似恋愛的な
        ものに嫌悪感を抱かない「いい歳した男性」なんてものになると、精神病の
        一歩手前くらいの「妄想」に取り憑かれる「気質」を持ってしまっている。
        すると、「タブーを破る快感」や「背徳感こそが甘美な魅力」といった、最初の
        方で説明した「異端としての芸術」に魅せられる感性を持っているかもしれない。
        実際に、近親相姦もの、というジャンルはアンダーグラウンドの「表現」としては
        常に存在している「定番」とも言えるわけで、それは官能小説からエロ漫画に
        至るまで、ありとあらゆるジャンルに見い出す事が出来るはずです。
        となりますと、これはやはり「危険」という事になるわけで、アングラの「創作」
        ならばともかく、相手が生身の人間である「芸能人」を対象とする際の話なの
        だから、仮に「恋人設定」を止めて「妹設定」にしてしまったら、余計にタブー
        の存在や背徳感を意識してしまって、より過激な「妄想」へと誘惑されていって
        しまうかもしれない。だとしたらインセストタブーも意味がないという事になる。
      • 3215. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:27
      • そこで、私が考えたというか、常に私が実行してきた概念ではあるんだけども、
        「遠すぎて血縁のない親戚の子供」といった「設定」こそが、最も「赤の他人」に
        抱く「身内意識」としては合理的な解釈で、しかも危険が少なく、対象の人物に
        迷惑をかける心配もない穏当で無難な「設定」という事になるかと思います。
        そして、この「設定」は厳密に言えば「ウソ」ではない、というところがミソ
        でありまして。日本人ならばだれでもルーツ探っていくと清和源氏か桓武平氏の
        どちらかに辿り着く、なんて話は誰でも知ってるわけで、清和天皇や桓武天皇の
        更に昔、なんてものを想像すれば結局は「ひとつ」になってしまう。
        で、当然、これは日本人のみならず全人類に言える話なのだから、人類なんて
        ものは全員「遠い親戚」ではある。本当はミミズだってアメンボだって同じ。
        だからあえて「遠すぎて血縁のない親戚の子供」と書きましたけども、本当の所を
        言えば「血縁」も、凄く薄くたってある事には変わりがない。
        したがって「遠すぎて法律上の血縁のない親戚の子供」という言い方が正しい。
        例えばハロプロで言えばメンバーは全員、「親戚の子供」で構わない。
        もし自分よりも年上の芸能人やスポーツ選手を応援するとしても、やっぱり
        「親戚の子供」で構わないはずで、それは「年上のいとこ」みたいなイメージで
        捉えてあげれば、「身内意識」を抱いてしまった格好の理由付けにはなる。敵の
        チームの選手は「ちょっと仲の悪い親戚」として、だから応援できない、とかねw
      • 3216. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:28
      • というわけで「擬似恋愛」をめぐる私の「結論」は以下のものとなります。

        ・芸能人を応援するにあたって、「身内意識」は不可欠である。

        ・しかし、その「身内」を、恋人や家族と見なしてはならない。

        ・あくまでも「遠い親戚」だと思い込む事で、「身内意識」を保ったままの
         状態で「深入りし過ぎない」、適度な「距離感」を持って応援できる。

        この「結論」を私は人々がエンターテインメントを楽しむための最低限のルール、
        として提唱したい。そして冒頭で触れた様に、「擬似恋愛」に関しては現代に
        おいて「恋愛」が簡単なものではなくなっているので、「本物恋愛」に移行する
        までのモラトリアムという意味で、おおよそ25歳くらいまでを目処に許容する。
        この「許容する」というのは私が許容するのではなくて、社会全体がそんな目線
        で「見守り」つつ「見張る」という意味です。逸脱している様に見えたならば、
        それはきちんと「ばか」にしてあげなければならない。冷ややかな目で見たり、
        時には蔑んでみせる事によって、「擬似恋愛」から抜けられない若者を結果的
        には救う事になるはずです。だってねぇ、擬似恋愛は「成就」しないんだから、
        それは親切なんですよ。もちろん成立してしまう可能性もあるAKB的な風俗営業
        というものを、まず一掃する機運を盛り上げる事が先決問題だとは思います。
        「AKB的」、それは今や「ハロプロ的」とも確実に言い換えられるのです。
      • 3217. 長文の人
      • 2019年04月30日 11:29
      • これは単なるハロプロ批判ではないです。もしアプガ陣営が同じ様な、歌も披露
        しない「個別握手会」なんてものを始めたら、私はそれを真っ先に批判します。
        つまりは現代における「芸能界」全体と、それを囲むファン全員に向けての
        「提言」であります。だからこそコモンセンスとなって欲しいと願っていますし、
        もしそうなった暁には、日本の芸能が健全化して復活する可能性だってある。
        そんな、ポジティブな未来を期待しながら、平成最後の日に書かせて頂きました。
        すべてを読んで下さった方々、ありがとうございます。 m(_ _)m

        それでは、これにて。長文の人より。 (完)




        (管理人さん、また長いですけど、今回の分の記事化をお願い致します)
      • 3218. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 12:06
      • 握手会をはじめたつんく♂さんの罪は深いですな。
        一度はじめたら引き返すのは難しい。
      • 3219. 長文の人
      • 2019年04月30日 12:14
      • ※3218
        なんで、つんく♂が「営業」を担当してたって話になるのかなあ。
        会社というのはどこでもそうだけど大きく分けて
        「製作」と「営業」の二つの部署があります。
        つんく♂がやってたのは「製作」のトップなわけでね。
        あの規模の会社で両方のトップ掛け持ちなんて出来ないんですよ。
      • 3220. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 12:44
      • >>3219
        いい歳して社会人経験が一度もない奴にそんな事を言ったところでなw
      • 3221. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 12:47
      • ※3219
        つんく♂さんは当時ハロプロのプロデューサーだったわけで、
        そういうことも含めてハロプロ全体の責任とる立場だと考えています。
        不本意であれば止めることもできたのでは?
        握手会について、「商業的にはしかたがないこと」と言う認識だったと思います。
        (ソース見つけるのは難しいですが、インタビューか何かでの発言より)

        「制作」と「営業」に別れていて…と言うのは、
        NGTの件で秋元Pについても言われてましたが、
        いやいや、秋元さんにも責任あるでしょ?と言うのが私の考えです。
        プロデューサーを名乗るというのはそういうことじゃないかと思います。
      • 3222. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 12:50
      • この様子だと、令和になってもコメント返しはしそうだな。
      • 3223. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 12:57
      • ※3222
        「名指しで批判されたら反論するのは当然」とか言い出すでしょうから改元後は一切触れないことが寛容でしょう
      • 3224. 大江春泥
      • 2019年04月30日 14:09
      • ハロプロのヘソ出しなどのセクシーなステージ衣装
        …非日常…ファンタジー…神話…偶像…アイドル

        秋元Gの制服
        …日常…風俗…痴漢…接触…遭い奴流…あいどる

        ハロメン全員が制服を着用させられているのをみて
        なんだか貶められたような気がした小生は
        上記の長文さんの分析・主張にほぼ同意
      • 3225. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 16:14
      • 長文さんも卒業か・・
        さみしくなるなぁ

        握手会はほとんどの人が他愛もない会話が目的だとおもいますよ。
        楽器でのアドリブセッションが最高の音楽というのなら、言葉・セリフのアドリブセッションというのもそれは最高な時間なわけです。メンバーは自分の言葉でしゃべるし、こちらもそう。例え楽器ができなくても、アドリブ会話でセッションというのも楽しいものです。
         長分さんもここで自分の言葉で意見を述べ、反論する人も自分の言葉で反論する。そういう人間の営みが、好きだなあ。文句を言いながらもハロプロをいつも気にかけてくださった長文さんもお元気で。
      • 3226. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:25
      • ※3220
        確かに、びっくりしちゃうだけなんですけどねぇw
        ただ、今の時代は「正社員」という立場で仕事してる人がもの凄く
        少なくなってるはずですから、「会社」という組織をまるで知らない人も
        増えている気がします。だったら教えてあげるのも親切かなあ、と。^^

        実際に※3221の反論も※3218と全く同じ「無知」故の発想としか思えない。
        「不本意であれば止めることもできたのでは?」ってねぇ、単なる音楽や
        コンサート制作の部署のトップ、しかも厳密に言えば「制作部門ハロプロ課」
        のトップに過ぎないわけで、役職的に言えばただの「課長さん」ですよね。
        「プロデューサー」という肩書きを過剰に解釈してるんだろうけども、
        音楽界の常識で言ったらプロデューサーって「課長」以下ですよ。
        というのは、その役職名は必ずや「契約」の意味を持つわけで、会社内での
        「昇進」で就けるポジションではない。つんく♂よりも知名度や稼ぎとして
        「大物」であるはずのデヴィッドフォスターというプロデューサーの仕事は、
        現在「世界三大レコード会社」において今も満遍なくリイシューされてますが、
        彼がSONYやユニバやワーナーに対して、何らかの「命令」や「決定」ができる、
        なんて事があるはずがない。「契約」が終わる度にフリーに戻るだけ。
      • 3227. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:26
      • 「商業的にはしかたがないこと」と語った発言は、確かに私も読んでますが、
        それを「つんく♂が考えて実行した」と誤読してしまう無邪気さには恐れ入る。
        普通は「営業」から「今の時代、仕方がないんで同じCDを沢山買わせる方針で」
        などと言われて、渋々「製作」側としても承諾した、としか読めないですよね。
        しかも、つんく♂は「同じCDを何枚も買わせるのは心苦しい」といった発言も
        していて、だからこそカップリング違いにするために、一枚シングル出す度に
        優にミニアルバムが作れるくらいの曲数を、量産している時期があった。
        両A面プラス、カップリング違い含めて合計6曲とかね。
        そこまで全部ひとりで背負ってしまえる作家なんてつんく♂以外にいなくて、
        しかも「捨て曲」的なやっつけ仕事感は皆無。むしろ現在ではコンサートでの
        定番となった曲が多い。そんなCDを買ってくれるファンに対して親切極まりない
        つんく♂という根っからの「音楽至上主義者」が、歌も歌わない「握手会」の
        推進なんかに手を貸しているわけがない。
      • 3228. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:26
      • 「プロデューサーを名乗るというのはそういうことじゃないか」
        もちろん、秋元康に関して言えば「何かを語る」程度の「責任」ならば当然ある
        でしょうね。そして、つんく♂ならば、実際にメンバーの「解雇」であったり、
        メンバーの「やらかし」などについても、常に「言葉」を発していた。
        つまり「ハロプロの表向きのトップ」という「責任」は常に取っていた。
        プロデューサー退陣後だって作品解説やメンバー評などを書いてしまって、
        だからこそ「もう余計な口出しするな」なんて言われてヘソを曲げた可能性も
        ある。つまり、つんく♂は「自分の責任以外」の話であっても、常に「発言」を
        欠かさなかった男なのであって、これはもはや「プロデューサー」だったから、
        という肩書き的な「責任」の意味をとっくに超えた、メンバーやファンに対する
        本物の「愛情」としか言いようがない。
        ちょっと他には類例が思い浮かばない、凄い人物なんです。
      • 3229. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:27
      • しかし、営業部署やその他の「偉い人」とは散々衝突していたと思われるけれど、
        結局は「自分の権限」の及ぶ範囲内の事しか「自由」には決められない。
        だから最終的には自分の本意ではないとしても「すべて呑む」という形の発言に
        なるしかないのであって、その事を「言質」の様に取って、握手会商法まで
        つんく♂の責任、といった「飛躍」を読まされるのは、正直不愉快である。
        うーん、やはり社会経験の乏しさや、ただの無知を笑うべきなのかねぇ。
        なんだかんだ言って、私もつんく♂には及ばずとも「親切」ではあるんですよw
      • 3230. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:28
      • ※3224
        ありがとうございます。<(_ _)>
        確かにこの話は「アイドル」とは何か?という、より大きな命題にも抵触して
        いきますねぇ。お書きになられている「非日常」と「日常」の対比。
        その部分に対して明らかな意思を持って、「壊す」事をやり続けてきたのが、
        秋元康という人物なんです。「おニャン子クラブ」で「プロ歌手」を否定して
        みせる。そしてAKBにおいては「芸能」そのものを否定して、太古の昔からある
        はずの、もしかしたら「一番楽しい人間の文化」としての芸能の概念までもを
        壊しにかかった気がしております。今日は最後だからはっきり書いてしまうけど、
        あえて「ブス」な子を脇役ではなく主役に抜擢して、更にスター性があるとか、
        カリスマ性がある、などと宣伝してしまって「価値観の転倒」を企てる。
        これは「新しいもの」を生み出したと見るよりも、確実に従来の「スター」の
        条件を「無」に帰してしまって、更には「脇役」の存在価値すらも失わせて
        しまう行為なわけで、「創造」ではなく「破壊」である事は明白なんです。
      • 3231. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:28
      • 言っては悪いけど、ハロプロも「個性的な顔」というよりは「ただのブス」に
        見える「顔」が増えてきたんじゃないですかねぇ。もはや人間の「審美眼」に
        まで混乱をもたらしているわけで、それは良く言えば「きれいごと」の「平等」
        だとか「差別は止めましょう」みたいな、つまらない話に収斂されてしまうかも
        しれないけれども、それはパラダイスでは断じてない。
        「新しい美人像」が誕生するのならば良い。そうではなくて「ブスがスター」
        という倒錯した世界を、秋元は面白がっている。そしてそれは秋元の悪趣味
        だけでは済まなくて、世の中の「価値観」に混乱をもたらすだけ。
        「創造的行為」ではない「破壊」がもたらすものは「混乱」でしかないんですよ。
        いや、こういった話もまだまだ深く掘り下げてみたいところではありますねぇ。
        続きを書くとしたら「癒してアプガ」の方でやりますのでw、その時には春泥氏も
        ぜひ、ご参加下さい。いつも、こちらこそ刺激を貰える感想、感謝です。m(_ _)m
      • 3232. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:29
      • ※3225
        いやあ、そんなもったいない「送別の言葉」を私が頂けるとは思ってなかったw
        まあ、いや、照れ隠しです。本当にありがとうございます。<(_ _)>

        しかも「鋭い視点」を書いてくれていますねぇ。
        私が批判した「個別握手会」という形態に対して、
        「言葉・セリフのアドリブセッション」という新たな「価値」を発見して提示
        してくれている。いや、確かに「ほとんどの人が他愛もない会話が目的」で
        ある事までは、私は否定していないです。実際に私だって「個別」ではなくて
        「高速握手」ならば何度か参加している。高速だからセッションは無理なんだ
        けども、例えばタケちゃんに「私も巨人ファンです」なんて言いながら手を
        差し出したら「おー!」なんて、でっかい声出してくれた、だとかw、そんな
        思い出ならば私も未だに記憶に鮮明なわけで、やはり本来「高嶺の花」である
        はずの「芸能人」と、ちょっとした「会話」をした、なんて体験は楽しいもの
        ではあります。まあ、だからこそ、DA PUMP現場とアプガ(2)の告知で知った
        秋元系発祥(風俗店的という意味)とは違う場所では、現在主流でスタンダード
        的になっている「握手」や「チェキ」に関しては「擁護」を書いてみたんです。
      • 3233. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:30
      • だからハロプロが導入してしまったAKB的な「個別」もねぇ、会話できる時間が
        「高速」よりも少しだけ長い、というのはそれで「セッション」のチャンスが
        増えるという意味で良いんだろうけども、やはり「個人」を指名して券を買う
        だとか、指名できない場合はオークションで取引されているだとか、そもそも
        ボックスセットという意味のない商品を購入しないと参加できないだとか、
        ブースの前に並ぶ人の「列の長さ」によって露骨に「人気順」がメンバーに
        伝わってしまうだとか、そうなるとまさに風俗営業的な「媚び売り」に走る子も
        出てきてしまうだとか、そもそも拘束時間が長過ぎて「本業」の稽古不足に
        繋がってしまうだとか、※3225氏の様な良識あるファンだけが集うならばよい
        けれども、確実に「擬似恋愛」の幻想に囚われた「認知」目的だったり、下手
        すれば「説教」目的だったり、もっと下手すれば完全な犯罪的ストーカーまで
        もが、紛れ込んでしまう危険性があるだとか…………
      • 3234. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:31
      • だからやっぱり、この「問題」はもっとファンの側も真剣に考えてあげなければ
        ならない課題であると、私は思うんですよね。
        私ね、今朝は昔、巨人に在籍していた頃の松井選手の球場でのファンサービスに
        ついて褒めて書きましたけど、もちろん私が一部始終を何度も見てきた体験談
        なんですよ。しかし私は一度も松井選手からサインを貰わなかった。
        ファンなんだから「練習」と「報道陣への対応」で疲れ切っているのは見てて
        わかるわけです。その後にサインをせがむ、なんて事は私には出来なかった。
        だから私は松井の大ファンだったんだけども、一枚もサインを持っていない。
        で、それを後悔なんて全くしてないですよ。他の人達に一生懸命サインを書いて
        あげている松井の姿を見ているだけで充分だったし、そんなファンサービスの
        意識の高さに関して素直に「尊敬」する事が出来て、ますますファンになった。
        逆に清原ってね、凄くファンに対して態度が悪くてw、平気で「邪魔だ、ボケ」
        とか言って子供まで手で払いのける様な人だったんで、私はそんな光景を何度か
        目撃したので嫌いになってしまったw
        まあ、そんな余談はともかく、つまりですね、エンタメにおけるファンサービス
        というものは大事だけども、それは「ファンの側」も気を遣うべき繊細な問題
        である、という事を私は提言したいのですよ。
      • 3235. 長文の人
      • 2019年04月30日 19:31
      • ともあれ、「文句を言いながらもハロプロをいつも気にかけて」というw、
        私という人間の「本質」を的確に見抜いてくれた事に、感謝です。
        そんな読者の方々に支えられて、長期に渡る「雑文」を書かせてもらいました。
        しょーもない話も多々あったかと思いますが、中にはかなり「深い」はずの
        内容もあると自負はしてます。しかしこれは「物語論」で最近、書かせて貰った
        様に、あくまでも「読み手」に「発掘」してもらって初めて成立する類のもの
        でありまして、その意味で、読者の方々こそが「ストーリーテラー」なんです。
        まあ、入れ子構造ですけどね、私が発掘したストーリーを、更に読者の方々が
        ヤンタン氏の言葉の様に「噛み砕いて」、やっぱり発掘してしまうはずのもの。
        そんな「場」を、管理人さんのご好意によって作らせてもらって、現在の
        ネットにおける「テキスト文化末期」に書かせて貰った私は幸せ者です。
        温かいお言葉、本当にありがとうごさいました。<(_ _)>
        まあ、「癒してアプガ」に出没する予定ではありますのでw、そちらももし余裕が
        ありましたら時々チェックしてみてやって下さい。それでは。(^^)
      • 3236. 管理人
      • 2019年04月30日 21:11
      • ※3163
        >>村上春樹の初期の、日本なのかどこなのかさっぱりわかんない「架空の町」
        みたいな風景を書いてた気がする。そしてそれは春樹の文体が海外小説の翻訳調
        だったのと同様、やはり「アメリカ」への憧憬が強く感じられる。

        村上春樹さんといいますと
        ・ジャズ喫茶を経営していた
        ・翻訳家でもある
        という方ですよね~

        なので
        確かにそうなんでしょうね~
        (*^^*)
      • 3237. 管理人
      • 2019年04月30日 21:23
      • ※3188
        >>ロリコンについてだけ言えば、昔は結婚年齢が
        「15で姉やは嫁に行き」が当たり前なので「異端」ですらない。

        こちらは
        当時の平均寿命も関係ありそうですね~
        現代では70歳80歳当たり前の時代になってきました
        しかし
        例えば「織田信長」で有名な「敦盛(あつもり)」では

        ---

        人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
        (人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ)

        ---

        つまり
        50歳が寿命だったわけで
        もっと言っちゃうと
        日本で人口が増えて寿命が延びだしたのは
        明治の産業革命以降のお話しという説もあるらしいですね

        なので
        江戸時代までは寿命が50年くらいだったんでしょうかね~
        確か
        縄文時代は30歳とかじゃなかったかな!?

        なので
        ・今の日本でいう「15歳」と
        ・200年くらい前まででいう「15歳」とだと
        そのインパクトはまるで変わってくる可能性があります

        ☆現代
        ・思春期
        ・人生まだまだこれから
        ☆200年くらい前
        ・青年期
        ・人生の1/3は消化した

        つまり
        人生においての「熟成度」はまったく違うわけですよね~
        そのため
        「15で姉やは嫁に行き」が
        「早婚」であったとしても
        現代ほどの衝撃的なインパクトはほぼなかったんじゃないでしょうかね~
        なにせ「人生の1/3」を経過した後なわけですから

        単純計算ですけど
        80歳÷50歳☓15歳 = 24歳
        ですから
        「15で姉やは嫁に行き」を現代版で過激?に訳すと
        「24で姉やは嫁に行き」なのかもしれません

        そういった意味においても
        >>「15で姉やは嫁に行き」が当たり前なので「異端」ですらない。
        というは
        そのとおりですよね~
        (*^^*)
      • 3238. 癒して名無しさん
      • 2019年04月30日 23:28
      • See you Again (^▽^)/
      • 3239. 長文の人
      • 2019年04月30日 23:49
      • ※3236
        村上春樹はですね、その後はかなり「無国籍」風ではなくなってきまして、
        だからこそリアリティの面で読み応えがある様になって私も夢中になって
        読んでたんですけどね。ただ、また最近よくわかんなくなってきたw
        あと、「無国籍」風というのも一概に悪いわけではないです。
        「想像力」という「リアリティ」よりも更に重要な要素を重視するならば、
        特定の「国」や「文化」を描く事よりも、どこかの未知の「惑星」である
        とか、パラレルワールドの「異世界」を書いた方が「王道」とも言える。
        まあ、優れたものであれば、そんな「無国籍」の中で、暗示的にリアルな
        問題を仕込んで思索を展開したりしてますけども。
        結局は「想像力」と「リアリティ」のバランスという話になる気がします。^^
      • 3240. 長文の人
      • 2019年04月30日 23:49
      • ※3237
        そうですねぇ。例えば昔は「疫病」の様なものが流行ればバタバタと人は
        死んでいくわけでして、当然、子供たちも更に体が弱いから、「平均寿命」
        なんてものは、ペニシリンが普及する前までは昭和であったって50年か60年
        くらいのものなんじゃないですかね。そして今はそういった抗生物質だとか
        手術方法の進歩などによって長生きはできるんだけども、薬漬けで副作用に
        苦しんだままであるとか、酷い場合だと植物人間の様な状態のまま生かされて
        しまって、安楽死すらさせて貰えない。かわいそうだと思って点滴外すだけで
        医者が逮捕されますからね。これまた、単純に「人間は幸せになった」とは
        決して言えない時代でもあります。
      • 3241. 長文の人
      • 2019年04月30日 23:50
      • いや、そんなレス返しはともかくw
        またしても、あんな長いものを「記事」にしてくださって感謝です。<(_ _)>
        今回の記事化希望の動機というものは、まあ、ここでの最後の私の「力作」、
        みたいなw、要するに「平成最後」、みたいなw、そんな「記念」を意識させて
        貰った部分もあるんですけども、真面目な事を言いますと、今回の話という
        ものはハロプロでもアプガでも、つまりは「日本の芸能」、もっと言えば
        「日本の文化」すべてに関わってくる様な「大問題」だと思ってましたので、
        出来るだけ多くの人に読んで貰って、何か考えるきっかけになってくれたら
        嬉しい、というのが「理由」でありました。
        まあ、私の考える「重要問題」だったので、なんとか平成中に完成できて
        ホッとしておりますです。(^^)
      • 3242. 長文の人
      • 2019年04月30日 23:52
      • いや、そんな事よりも、ここだけでなく「癒してアプガ」や「癒してUF」に
        まで転載して下さって、正直、小躍りする様な喜びを感じておりますw
        管理人さんはホント、訪問者に対して優しい方ですねぇ。丁度ファンサービスの
        話を書きましたけども、管理人さんこそがファンサービスをしっかりわかって
        いらっしゃるエキスパートという印象です。^^
        ここのコメント欄もねぇ、散々私は暴れてご迷惑ばっかりかけてしまったのに
        ついぞ排除する事なく、私如きとの対話にまで付き合って下さって、ホント、
        多大なる感謝と恐縮で、頭が上がりません。
        長い間、ここを使わせてもらって、本当にありがとうございました!
        令和でまたお会いしましょう! ※3238のダンスの先生も Thanks、See Ya !

        長文の人より。
      • 3243. 長文の人
      • 2019年04月30日 23:53
      • さーて、ここで次回予告ですっ!
        次なるお題は、皆さんお待ちかねの大好評レヴューシリーズ!
        そうです、『We are Winner ! シングルレヴュー』の巻き~~~♪

        ただのレヴューではございませんっ!
        なんと、つんく♂の発明した「歌割」という技法の「秘密」についに迫るっ!
        もちろん、いつもの詳細な「リズム論」の続きも予定してますっ!
        ぜひ、ぜひ、この機会をお見逃しなくっ!
        読んで損はさせませんよお。内容濃くしますよお。

        しかーし。残念ながらここのコメント欄には掲載されませんっ!
        ここを楽しみにして頂いていた読者の方々には誠に申し訳ないのですが、
        掲載されるメディアが変更となります。<(_ _)>

        次回からは「癒してアプガ」というですね、出来立てほやほやで湯気が立って
        おりましてね、フレッシュ、もぎたて、絞りたて、みたいなw、J=Jの最初の
        頃の宣伝文句忘れちゃったなあ、というのはまあ良いとしまして、兎に角!
        全く新しいサイトにての公開になりますですっ。
        てなわけで、長文読者のみんなー、後楽園遊園地でボクと握手!
        じゃなかった、「癒してアプガ」に全員集合だあああああああああああ!
        絶対、覗いてくれよな! 俺は待ってるぜい!
        ひゃっほーい! ヤッホータイ!
        「癒してアプガ」のブックマークと毎日のチェック、よろしく頼むぜ!
        たぶんアクセス数が増えるとね、管理人さんもやる気出しちゃうかもよぉ?!
        では、そんなわけでね、よろしく頼む! 以上!

        令和も最高にしようね
        みなさん!!
        おやすみほーちゃん!
        佐々木ほのか。
      • 3244. 癒して名無しさん
      • 2019年05月01日 19:09
      • 例え長文を排除しても
        その意志を受け継ぐ者はいる。
        これからも続く。
      • 3245. 癒して名無しさん
      • 2019年05月01日 22:58
      • いやいや、長文は癒してアプガに引っ越ししたんだよ。読みたい人はそっちへ行けばいい。
      • 3246. 癒して名無しさん
      • 2019年05月01日 23:23
      • 引っ越したとかよくかけるよな。
        あれだけ追い出そうとしてて。
      • 3247. 癒して名無しさん
      • 2019年05月02日 00:14
      • ※3244
        そんなこったろうと思ったよ
        コテハン変えれば済むだけだからな
      • 3248. 癒して名無しさん
      • 2019年05月02日 00:39
      • ※3246
        出て行ってほしいとは思ったが追い出そうとはしていない
        というより追い出す方法が思いつかなかった
      • 3249. 必殺仕事入V
      • 2019年07月14日 00:33
      • そういえばこんな記事あったな。
        ここの主も被害者なのかな。
        正義ぶってる人たちの。
      • 3250. 癒して名無しさん
      • 2019年07月14日 03:58
      • 正義というかタチの悪い事務所信者たちだね
        タレントよりも会社が好きとか終わってる
      • 3251. 癒して名無しさん
      • 2019年07月14日 09:28
      • でたでたw妄想を根拠に叩くあほアンチw
      • 3252. フフフ
      • 2019年10月21日 00:43
      • 以前ふなちゃんに似てるって言ってた(笑)
        田村ちゃん、ビリヤードすごかったぁ
        大技大成功。

        本番に強い子フフフ

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