[和田彩花]6/11(火)NHK Eテレ「徳川三代の天守 創業者 家康のシンボル」に出演決定!(2019-06-05)
和田彩花 アンジュルム ハロプロ
みんな気づいてくれたかな?伊勢鈴蘭


6/11(火)NHK Eテレ「徳川三代の天守 創業者 家康のシンボル」に出演決定!

徳川家康・秀忠・家光の3代将軍は、代替わりの度に江戸城天守を3度建て替えた。なぜなのか?それぞれの将軍が天守にこめた思いを2回シリーズで探る。今回は家康の天守。
【出演】奈良大学教授…千田嘉博,ファッションデザイナー…山本寛斎,和田彩花,【司会】新井秀和
番組サイト
https://www4.nhk.or.jp/chieizu/x/2019-06-11/31/20518/1494225/

https://twitter.com/akihiro1000/status/1135667610777841665
https://twitter.com/fukumasa_9699/status/1128609053259616256
https://twitter.com/fukumasa_9699/status/1133950803842961409
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*情報を教えてくれた方
ありがとうございます
m(_ _)m


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当たった☆譜久村聖 2019-05-30 22:40:43
アンジュルム 和田彩花さん 卒業記念パーソナルフォトブック「和田彩花」発売!☆書泉チャンネル 2019-05-30 02:53:39

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アンジュルムおよび、ハロー!プロジェクトのリーダー 和田彩花さんをお迎えして、卒業記念パーソナルフォトブック「和田彩花」(オデッセー出版)発売記念イベントを2019年5月29日に書泉ブックタワーで開催。書泉チャンネルにコメントをいただきました。

【好評発売中】和田彩花(アンジュルム)卒業記念パーソナルフォトブック「和田彩花」
価格:2,000円税込(1,852円+税)
発売日:2019年5月29日
仕様:A5変形判・全112ページ
発行・発売:オデッセー出版
楽しみだなぁ〜 ʚ♡ɞ 前田こころ 2019-05-29 19:38:55
2019-05-26 23:17:55
アンジュルム コンサートツアー 2019春 〜輪廻転生〜
本当にありがとうございました 本日はホールコンサートラストであり、和田彩花の地元公演&メジャーデビュー記念日でした✨

ツアーファイナルそして、12体制のアンジュルムのコンサートのラストは
『アンジュルム コンサートツアー 2019春 ファイナル 和田彩花卒業スペシャル 輪廻転生 〜あるとき生まれた愛の提唱〜』
が、6/18 日本武道館です

メンバー、スタッフ、ファンの皆さん全員で最高のコンサートにしましょう!!! #ANGERME #アンジュルム #コンサートツアー #輪廻転生 #ホールコンサート #ラスト #群馬 #ありがとうございました #和田彩花 #中西香菜 #竹内朱莉 #勝田里奈 #室田瑞希 #佐々木莉佳子 #上國料萌衣 #笠原桃奈 #船木結 #川村文乃 #太田遥香 #伊勢鈴蘭
スマイレージ!中西香菜! 2019-05-26 21:50:09
中西香菜です!!! 2019-05-25 21:43:50
☆アンジュルムック発売BDイベのお知らせ☆川村文乃 2019-05-24 20:20:32
2019-05-24 08:32:50
アンジュルム 4/10シングル発売記念 チェキ&握手会
本日のお楽しみ衣装はこちらでした✨
去年の秋ホールツアーの衣装です!
この後もぜひ楽しんでください

#ANGERME #アンジュルム #発売記念 #チェキ会 #握手会 #和田彩花 #お楽しみ衣装
バースデーイベントお待ちしています!! ʚ♡ɞ 前田こころ 2019-05-21 17:08:04
新ゆはここポーズ初披露! ʚ♡ɞ 前田こころ 2019-05-19 21:08:44
\ お知らせのみ! / 上國料萌衣 2019-05-18 13:01:55
テラスハウス。中西香菜 2019-05-15 22:41:01
みんな気づいてくれたかな?伊勢鈴蘭 2019-05-15 22:15:55
2019-05-14 06:17:46
上國料萌衣です!
今日は、テレビ東京「プレミアMelodiX!」の収録をしてきました♪♪ ブログに載りきらなかったのでこちらに。
今日の収録合間に撮った可愛い和田さんです!

プレミアMelodiX!の放送もお楽しみに〜っ!

#アンジュルム #ANGERME #和田彩花 #今日の和田さん #笑顔 #スマイル #大好き




  •  コメント一覧 (52)

      • 1. 管理人
      • 2019年06月05日 03:13
      • これ・・・

        江戸城の天守は
        確かに
        家康・秀忠・家光と建て替えさせましたが
        でも
        その後
        火事によって消失しています

        さらに
        火事が起きた
        その当時の江戸幕府は深刻な財政難でして
        その天守を再建するお金すら無かった

        まあ
        この時代になると天守が無くてもいいくらい
        世の中が平和だったという見方もできなくはないだろうけど・・・

        さらに
        言えば
        家康が江戸に入ったのは豊臣秀吉の命令で
        家康が江戸入りしたときは
        あたり一面が湿地帯で神田山の近くまで海でした
        世帯にして400世帯くらいしか人が住んでいなかった
        というか
        湿地帯で田畑を広げることできなかった

        さらに
        太田道灌が建設したと言われる江戸城も
        かなりボロボロになっていて
        堀を渡るのに大きな板を立て掛けて渡るようなほどでありました

        その江戸城を家康は改築して巨大城郭に変えていきます
        江戸の湿地帯も神田山を切り崩して
        入り江を埋め立てていきます
        そうして
        今の東京の大元が完成していくのです

        ちなみに江戸城も
        もともと大奥は無かった
        その後
        江戸城が整備されて大奥が完成します

        そもそも
        家康は将軍になった後すぐに
        秀忠に後を継がせて
        自身は駿府に隠居してしまいます

        秀忠はご存知のとおり恐妻家?で
        一人だけ愛人がいましたが奥さんのお江(おごう)さんが存命中の間は隠していました
        つまり
        大奥自体それほどは重要ではなかったのではないかな?!

        子供の家光が生まれ
        後に将軍になって
        乳母の春日局が大奥の責任者になったあたりでは
        大奥はかなり立派だったぽいから
        そのときには
        江戸城がかなりすごい状態にまで完成されていたんでしょうね~
        (家光自体はかなり女嫌いだったけどね)

        でも
        その後時代が下がって
        火事で天守は燃えて無くなります
        今は跡地だけで
        土台だけ残ってるんじゃなかったかな
        (^o^)
      • 0
      • 2. 管理人
      • 2019年06月05日 03:19
      • うう~やばい
        久々に歴史関係を書いてみたくなった笑

        ---

        春日局といえば
        徳川三代将軍の徳川家光(いえみつ)の乳母さん
        さらに
        乳母さんを辞めようとしても徳川家は春日局を離さず
        家光のブレイン(頭脳)となって
        さらに
        家光の小姓(お付きの子どもたち)も春日局が育てた
        (実子もその中にいて後に徳川家の「中老」という中枢を担い小田原藩という大重要拠点での藩主にまでなります)

        春日局は最終的には
        奥(将軍の生活スペース)の総取締役になって
        つまりトップになって
        絶大な権力をほしいままにしたという傑人ですよね~

        しかし
        この春日局という人は
        その後の大活躍に比べて
        前半生は不幸の連続の人でした

        春日局は
        ・お父さんが斎藤利三(さいとう としみつ)
        ・お母さんは稲葉一鉄(いなばいいってつ)の娘
        (ちなみに「頑固一徹」という言葉は稲葉一鉄があまりにもガンコな性格のために誕生した言葉だそうです)
        まあ
        武家としてもかなり輝かしい家系に生まれた相当な上級武家の出ですね~

        というのは
        みんな美濃(岐阜県)の出身なんですけど
        斎藤利三は非常に優秀な武将で
        織田信長の重臣(会社でいう役員クラス)であります明智光秀
        この明智光秀・軍団の筆頭家老です

        武力・統率力・政治力に優れていて
        さらに
        交渉もうまかった

        一方
        稲葉一鉄は美濃の豪族の一人で
        斎藤龍興(たつおき・斎藤道三の孫)が治めていた美濃が
        龍興が「ぼんくら」で酒と女に明け暮れて政治を見ようともしなかった
        そのため見切りをつけて
        織田信長に寝返ります
        織田信長の美濃制覇はこれが大きなきっかけとなって成し遂げられ
        そこから「天下布武」が始まっていきます

        (続く)
      • 0
      • 3. 管理人
      • 2019年06月05日 03:22
      • (続く)

        さて
        時代を進めまして
        その後
        織田信長が関西地方を制覇し
        中国地方や四国地方の制圧に乗り出します
        このときに
        関西や四国地方を牛耳っていたのが
        ・河内(大阪)・讃岐(香川)が三好義継(みよしよしつぐ)
        ・土佐(高知)が長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)
        このときの駆け引きも結構おもしろいんですけど・・・

        まずは
        三好党ですが
        ここは三好長慶という武将(義継の義父)が四国の半分そして関西の大阪・奈良・京都を影響下に起き広がります
        しかし
        三好長慶は将来を有望された嫡男・義興の早世で亡くし
        そのあとからだんだん「腑抜け」になってしまって
        政治を松永久秀・荒木村重などの重臣に乗っ取られていきます
        そこへ
        織田信長の軍団が関西へ攻め上ってきます
        松永久秀というと「裏切り者の代名詞」のような扱いですが
        このときは
        三好義継とともに織田信長の上洛を助けます
        (のちに松永久秀も三好義継も織田信長に滅ばされるわけで…「あのときに上洛を助けなければ~」と当人たちは後悔したかもしれませんね)
        (荒木村重も謀反を起こして信長に追放されます)
        結局その後
        関西地方から三好党は放逐されてしまいます

        そして
        織田信長の四国征伐となるのですが
        このときに外交で活躍したのが
        春日局の父親・斎藤利三です

        斎藤利三は三好党を挟み撃ちするために長宗我部元親と姻戚関係を結びます
        つまり親戚になります
        そうしておいて三好党をじわじわ締め付けていきます
        このときは
        織田信長は「四国は長宗我部元親の切り取り次第(好きなだけ領地を奪い取れ)」と元親に許可しています
        が、しかし

        (続き)
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      • 4. 管理人
      • 2019年06月05日 03:23
      • (続き)



        ここで東の武田信玄が話しに出てくるのですが
        武田信玄は将軍・足利義昭の「上洛&織田信長討伐命令」もあって京都を目指します
        武田信玄・軍団は圧倒的な強さで徳川家康軍を半死半生に追い込み
        さらに
        尾張(名古屋)に入ろうとする勢いでしたが・・・残念ながらそこで病没して亡くなってしまいます
        武田軍は甲斐の国(山梨県)に引き上げます

        このあと武田勝頼が武田氏の後を継ぐのですが
        この勝頼は急進的な改革を重臣たちを無視して一方的に進めたため
        内部崩壊して部下がどんどん離れていってしまいます
        そして
        結局
        織田信長・徳川家康の連合軍の前に滅亡し
        武田勝頼は天目山ということろで妻子ともども自刃て亡くなります

        その後に武田勝頼は「愚かな大将」と言われるのですが
        武田家の歴史書『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』には「強すぎる大将」と書かれています
        あまりにも急激に内部改革を行い
        さらに
        あまりにも大量に戦争を行ったため
        家臣たちがついていけなくなったというのが
        かなり大きな滅亡原因のようにも思われます

        (続く)
      • 0
      • 5. 管理人
      • 2019年06月05日 03:24
      • (続き)

        まあ
        それはさておいて
        東の脅威であります武田家が滅亡したおかげで
        織田信長は兵を東から西に全力全軍をもってきます
        そこで
        三好党はこれにはさすがに抗しきれず滅亡します

        そこで織田信長の「すさまじさ」なのですが
        三好党が滅亡するとすぐに長宗我部元親に「四国の領地を寄越せ」と言ってきます
        つまりは
        ★三好党が滅亡する前は
        →長宗我部元親に好き放題に領土を奪い取れ
        と言っておきながら
        ★三好党が(武田家滅亡のおかげで三好党があっけなく滅亡できたので)
        →長宗我部元親に領地を寄越せ

        その態度を豹変させたのです

        これに「おどろ木ももの木さんしょの木」だったのは明智光秀です
        というのは
        長宗我部元親とは筆頭家老の斎藤利三が姻戚関係にあり
        この明智光秀と斎藤利三が中心となって長宗我部元親とか友好的な関係を築き上げてきました
        そこへ織田信長がとんでもない冷水を浴びせてきたのです

        長宗我部元親は当然怒ります
        「そんなん話しちゃうや~~ん」と言ったかどうか
        (土佐弁なんてわからん!?)
        さらに
        織田信長はその「豹変」外交をそのまま明智光秀に担当を命令します
        つまり
        明智光秀(その重臣・斎藤利三)は長宗我部元親に
        ・昨日まで「仲良くしましょうね~~」と言っていたのが
        ・今日いきなり「領地よこせよワレ!!」と言わないといけなくなった
        これはかなり辛かったろうと推測できそうですよね
        さらに
        斎藤利三は長宗我部元親とは姻戚関係です

        (続く)
      • 0
      • 6. 管理人
      • 2019年06月05日 03:26
      • (続き)

        そして
        明智光秀は徳川家康の上洛の接待役をして
        その接待役の途中でその担当を解任され
        そこで織田信長に
        「中国・山陰を切り取り次第にする(好き放題に領地を奪い取っていい)
        しかし
        丹波(京都の一部・当時の明智光秀の領地)をすべて取り上げる」という命令を受けます
        さらに
        「羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の配下(部下)となって中国・毛利攻めに加われ」と命令されます

        多分ですが
        明敏な明智光秀のことですから
        「今度は俺か・・・」
        と思ったのかもしませんね~

        長宗我部元親が同じような仕掛けで
        だまし討ちのようなことをされていますのでね・・・

        これで
        明智光秀のココロに火がついちゃった
        なにせ
        明智光秀はNO.1の軍略家で滅法いくさ(戦)に強かった
        本能寺の変であっけなく織田信長親子を打ち取ります

        実は・・・
        これは長宗我部氏との交渉が絡んでくるのですが
        明智光秀はジレンマに陥ることになり
        非常に苦しい立場になります
        当然
        長宗我部元親は織田信長の豹変に拒絶するのですが
        その後になんと
        その織田信長の豹変命令を受け入れます
        その受け入れの手紙のが届いたのが
        明智光秀が「本能寺の変」を起こして織田信長親子を滅ぼした
        直後だったらしいですね・・・
        (実際には止められて届かなかったのですけどね)

        (続く)
      • 0
      • 7. 管理人
      • 2019年06月05日 03:26
      • (続き)

        つまりは
        その長宗我部元親の手紙が後1日早かったら
        1日だけ早く明智光秀の元に届いていたら
        織田信長も明智光秀も問題が解消され
        もしかしたら
        「本能寺の変」は起きていなかった・・・
        という説もあるらしいですよ

        さて
        まあ
        実際は「本能寺の変」は起こったわけで

        そして
        羽柴秀吉の「中国大返し」があって
        山崎の合戦があって
        明智光秀は逆に討伐されます
        「三日天下」と言われています
        そして
        羽柴秀吉の天下がはじまって行きます

        ---

        (続く)
      • 0
      • 8. 管理人
      • 2019年06月05日 03:28
      • (続き)

        さて
        前置きがかなり長くなっちゃいましたが・・・

        つまりは
        「春日局」の父親・斎藤利三は
        羽柴秀吉の天下の時代には「謀反人の娘」という扱いになります
        いつ殺されてもおかしくない状況におかれます
        なにせ
        斎藤利三は明智光秀の筆頭家老(明智軍団のトップ)なわけです
        (斎藤利三も明智光秀と同じように殺害されています)

        そこで
        「春日局」は母親とともに逃げます
        そしてその後
        母親の遠縁である三条西公国というお公家さんに養育されます
        (書道・歌道・香道等の教養を身につけることができた)
        そして
        豊臣秀吉からものちに正式に許可をもらい許されて
        伯父の稲葉重通の養女となり
        さらに稲葉氏の縁者で小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となります
        (関ヶ原合戦では稲葉正成が大活躍して小早川秀秋を寝返らせたらしいです)

        この稲葉正成もいろいろアクが強い人で
        のちに小早川秀秋に諫言しすぎて命を狙われて美濃に退去します

        この小早川秀秋も「寝返り者の代表格」のように扱われて結構な言われようですが
        それはそれとして
        とにかくものすごい借金をしていた
        それも養育してくれていた北政所(秀吉の嫁・ねね)から莫大に借りていた
        さらに
        当時の病状を現代の医学で解明するとかなり重度の「肝硬変」だったらしいです
        おそらく尋常ではないほどの膨大なお酒を飲んでいたんでは?と推測できそうです
        そのためか病気で若死にします
        そして小早川家は断絶し消滅します

        (続く)
      • 0
      • 9. 管理人
      • 2019年06月05日 03:29
      • (続き)


        稲葉正成は能力があったしプライドが高かったので
        仕官の話しはあったようですがなかなか「うん」と言わなかった
        浪人生活が長く続きます
        そのときに
        徳川家の京都所司代(関西支社社長みたいなもの?)の板倉勝重から
        二代将軍秀忠の赤ちゃんの乳母(乳を飲ませ養育する担当)の話しが舞い込みます

        春日局は戸惑いますが
        幕府は
        春日局の武家の血筋や公家の素養などから決定をします

        そうそう
        このときにルールで
        春日局は旦那の稲葉正成と離縁の形式をとります
        (しかしその後も仲良かったらしいですし
        稲葉正成は春日局の影響もあってか後に大名に復活します)

        のちの話しですが
        春日局は
        朝廷との間の
        かなり難しい交渉も成功させて
        (公家の三条西家に養女になっていたことがかなり有利に働いた可能性も)
        このときに
        朝廷から「春日局」という名前をプレゼントされます
        本名は「福」です

        ---

        (続く)
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      • 10. 管理人
      • 2019年06月05日 03:30
      • (続き)

        そして
        「春日局の決めごと」ですが
        徳川家光が26歳のとき「疱瘡(ほうそう・天然痘)」にかかって生き死をさまよいます
        このときに
        春日局は「薬断ち」を行います
        つまり
        「自分は生涯にわたって”薬”を飲まない
        だから神様仏様
        家光の命を助けてくれ」ということだそうです

        現代人の私達からは
        何の意味もないように思われますけど
        春日局は最後までこれを守り通します

        春日局は1643年に亡くなります
        このときに将軍・家光は
        泣きそうになりながら
        「頼むから薬を飲んでくれ」といい
        横になる春日局に薬湯を飲ませようとします
        しかし
        このときも春日局は袖にその薬湯を流し込んで
        けっして薬を飲もうとしなかったそうです

        そして
        徳川家光さらには徳川家を守りきった
        春日局は
        最後まで薬を飲まないという「決めごと」を守って亡くなりました

        (続く)
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      • 11. 管理人
      • 2019年06月05日 03:32
      • (続き)

        「春日局」といえば
        三代将軍・徳川家光の乳母で
        大奥(将軍のプライベートルーム)の総取締役(トップ)にまで上り詰めて
        さらに家光のブレイン(頭脳)ともなって
        絶大な権力を掌中にしたという傑人ですね~

        で、その「春日局」ですが
        この人が選ばれたのは徳川家康の意向が大きかったらしいですね
        というのは
        徳川家康と春日局は意外とよく似ている境遇で

        ★徳川家康
        ・三河武士の棟梁(トップ)に産まれる
        ・幼少時代は人質生活
        ・人質時代に雪斎禅師にエリート教育を受ける

        ★春日局
        ・斎藤利三と稲葉一鉄の娘という美濃(岐阜)の上級武士の家庭に産まれる
        ・「本能寺の変」で後に謀反人・斎藤利三(明智光秀の筆頭家老)の娘ということで命を狙われる
        ・逃亡生活時代に三条西公国というお公家さんに匿われ書道・歌道・香道等の教養を身につける

        つまりは両者とも深刻な戦争被害者だったわけですね

        そして
        徳川家康は「関ヶ原合戦」や「大阪の陣」で天下を掌中に治め
        徳川家の世襲制による安定政権作りを進めています
        そこで徳川家康は孫の「家光」を「優秀な跡継ぎ」とするべくエリート教育を施します
        そのエリート教育を行ったのが「春日局」になります

        (続く)
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      • 12. 管理人
      • 2019年06月05日 03:32
      • (続き)

        ここで「家光」の母親・江姫(ごうひめ)が大きく関わってきますが
        お江は徳川秀忠の妻としても有名ですが
        それにもまして
        「浅井三姉妹」の末っ子としても有名です

        つまりは
        浅井長政の娘ですが
        この浅井長政の妻が「お市の方」
        (「浅井三姉妹」のお母さん)
        この「お市の方」は織田信長の妹になります
        つまりは戦略結婚だったわけですが

        浅井長政は近江北部(滋賀県)を治め
        武勇に名高く
        あの織田信長も非常に高く評価していた武将でした
        織田信長は尾張(愛知県)から美濃(岐阜県)に進出し
        その後は近江南部(滋賀県)の六角(ろっかく)家を攻略し
        京都に上洛する計画を持っていました

        そのために
        織田信長としては浅井長政をどうしても味方に引き入れたかった
        そのために
        絶世の美女と謳われた「お市の方」と政略結婚させます

        ただ
        浅井長政と「お市の方」は政略結婚でしたが
        非常に仲が良かったらしいですね
        そこで4人の子供が誕生します

        (続く)
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      • 13. 管理人
      • 2019年06月05日 03:34
      • (続き)

        ところが…
        織田信長が計画通りに京都を制圧し上洛に成功した後ですが
        いうことを聞かない朝倉氏に業を煮やした信長が
        越前(福井県)の朝倉氏討伐に乗り出します
        ここで大きな問題が発生します
        というのも
        浅井氏と朝倉氏とは古い同盟関係にありました
        しかし
        若年の当主・浅井長政の嫁は織田家です
        つまりは
        浅井氏から見れば
        ・浅井氏 ⇒ 織田家と同盟関係(新しい)
        ・浅井氏 ⇒ 朝倉家と同盟関係(古くから)
        ・織田家と朝倉家が戦争開始
        ・浅井氏はサンドイッチ状態になる
        という関係です

        織田信長から援軍要請が来ます
        さらに
        朝倉家からも援軍要請が来ます
        完全に浅井氏は間に挟まれてしまい
        苦しい立場に追い込まれます

        ここで浅井長政の父親で隠居している・浅井久政やその重臣がすごい手を考えつきます
        つまりは
        織田信長を挟撃して滅亡させてしまおう・・・という作戦です

        そのときの状況では
        織田信長の主力軍と援軍であります徳川家康の主力軍が
        越前に攻め込んでいます
        つまりは
        浅井氏と朝倉氏(近江と越前)の真ん中あたりに織田軍はいるわけです
        織田信長の領地は浅井氏(近江)の西東南方面
        徳川家康の領地ははるか離れた三河(愛知県)です
        うまくいけば膨大な領地が浅井氏の手に入ります
        北にいる織田軍はまさに「袋のネズミ」状態です

        (続く)
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      • 14. 管理人
      • 2019年06月05日 03:35
      • (続き)

        浅井長政はかなり悩んだと思われますが
        しかし
        父親の意向もありこの提案に乗ってしまいます
        つまりは織田信長との同盟を解消し
        朝倉家とともに織田信長を滅亡するという案に賛同するのです

        そこで
        「お市の方」が「小豆袋」を送ったという伝承があるようです

        浅井長政は美貌の嫁「お市の方」に城から退散するように勧めます
        もちろん
        愛娘たち「浅井三姉妹」とともにです
        しかし
        「お市の方」は「いったん嫁いだからには私は浅井の人間です
        殿と一緒に運命をともにします」と言って城から退散しようとしなかった

        が、しかし
        当時の政略結婚の常識として
        嫁は嫁ぎ先に対してスパイ活動をしていた
        その国の情報は手紙などで逐一細かく侍女(お付きの女性(優秀な人が選ばれた))の報告含め
        出身元の親などに伝えるのが当時の習慣でした

        お市の方は浅井長政と別れることを選択しませんでした
        しかし
        兄・織田信長を裏切ることもできませんでした

        そのため
        兄・信長に浅井氏が裏切ったという情報を伝えようとします
        しかし
        淺井家中は戦争準備が始まっていた
        手紙にもろにそのことを書いたら没収されて
        下手をすれば殺されてしまう可能性もありました

        そこで
        お市の方は「小豆袋」を兄・信長に送ります
        この「小豆袋」の端と端を紐で結びつけて送ったのです
        まあ
        普通に考えて袋でしたら「片側」だけを結べばいいわけです
        そうすれば中の小豆はこぼれない
        しかし
        お市の方はあえて両端を結びました

        (続く)
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      • 15. 管理人
      • 2019年06月05日 03:35
      • (続き)

        これが織田信長の元に届くと
        織田信長は瞬時に立ち上がって馬に賭け乗り京都を目指して
        何も言わずに逃げ去ったそうです

        つまりはこの「小豆袋」は
        「今、織田軍は『袋のネズミ』。浅井と朝倉に挟撃されます」というナゾだったんですね
        それを織田信長は瞬時に理解し
        また
        理解するとすぐに行動して逃亡しました

        ちなみに
        家臣には何も言わなかったそうですよ
        織田軍の武将たちが挟撃されることを知ったのときには
        織田信長はすでにいなくなった後だったそうです

        ドラマなどでは
        ここで羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が涙流らに「殿(しんがり・最後に置かれる部隊)」を志願し
        あの信長が感動してこれを許し
        さらに
        柴田勝家や丹羽長秀なども温かい言葉をかけた・・・なんて風にやっていますけど
        実際にはそんなノンキな場面はありませんでした

        とにかく織田軍は逃げに逃げました
        そして
        どうにか逃げ帰ることに成功します

        しかし
        ここで織田信長が逃げ帰ることに成功する・・・ということは
        逆にいえば
        浅井長政からすると織田信長・挟撃作戦が失敗したことを意味します

        (続く)
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      • 16. 管理人
      • 2019年06月05日 03:37
      • (続き)

        もともとこの作戦は瞬発力が非常に重要な作戦のはずでした
        つまりは
        信長の挟撃決定とともに出陣し
        織田信長の逃げ口を塞いでおかないといけなかった
        でも
        浅井軍はそれをしなかった

        戦準備にかなり時間を使ってしまい
        「千載一遇の好機」を逃しました
        これは
        浅井氏は粘り強い戦に強いのですが
        (長期戦に強い)
        急襲したりするのは苦手だったからのようです
        (短期決戦が苦手)

        さてこの
        織田軍の撤退劇で大活躍した武将が3人いました
        ・羽柴秀吉⇒殿(しんがり(最終部隊))を引き受け朝倉氏の追撃を振り払って織田軍を無事に撤退させた
        ・徳川家康⇒友軍(援軍)にもかかわらず秀吉部隊を待ち助けて朝倉氏と一緒に抗戦した
        ・明智光秀⇒こちらも得意の鉄砲部隊で秀吉を支援しました

        ここで後に天下取りの主役級が活躍しているのがおもしろいですよね~

        (続く)
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      • 17. 管理人
      • 2019年06月05日 03:37
      • (続き)


        さらにいいますと
        明智光秀ですが
        江戸時代の記録では明智光秀は彷徨った流れ者の浪人のように描かれますが実はすごい人で・・・
        ・明智はもともと美濃(岐阜)の豪族
        ・光秀の父親が斎藤道三のもっとも信頼の厚い部下となる
        ・その後に道三が息子・義龍(よしたつ)に謀反を起こされて殺害される
        ・明智家もこのときに義龍軍に攻められて一族が滅亡します
        ・滅亡後は美濃を離れて近江に移り住みます
        (このことがきっかけで明智光秀はのちに坂本城(近江)を織田信長からもらい織田家初の大名になります)
        ・さらに越前・朝倉氏に客分(居候?)となります
        ・さらに暗殺された将軍・義輝の弟(一乗院門跡)を寺から救い出しこの弟は還俗します
        (これが足利氏最後の将軍となった足利義昭です)
        ・そして明智光秀は織田信長にこの足利義昭を紹介します
        ⇒織田信長は足利義昭・保護を「京都上洛」の正統な理由として上洛を成功させる
        ⇒足利義昭は織田信長のチカラに頼ることで京都に帰れて「将軍」の座につきます

        明智光秀は近江・越前・美濃の土地に詳しく
        さらに将軍家とも親しい存在でした
        なので越前では秀吉の援護ができたわけですね~

        ---

        (続く)
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      • 18. 管理人
      • 2019年06月05日 03:38
      • (続き)

        そうそう
        浅井長政ですが

        織田信長は浅井長政を相当に高く評価していました
        織田軍団といえば
        ・柴田勝家や羽柴秀吉や明智光秀などがでてきますが
        最初は「浅井長政」が最も高い評価だったようです
        (この後に浅井長政が亡くなったので秀吉や光秀が台頭してきて活躍しだしました)

        ですから
        もし浅井長政が織田の朝倉攻めで裏切るようなことがなければ
        もしかしたら
        織田軍の筆頭家老は「浅井長政」になっていたかもしれません
        なにせ絶世の美女の妹・お市の方も嫁がせています
        さらに
        織田信長ともあろう武将がなんで「のうのう」と!?越前に攻め入ったかといえば
        織田信長から浅井長政への「絶対的な信頼感」があったためという理由があるらしいです

        そうそう
        もし浅井長政が織田軍の筆頭の重臣になっていたら
        当然
        羽柴秀吉の活躍もありませんでした
        明智光秀も柴田勝家もそこまでの活躍もなかった
        すると必然的に
        光秀の「本能寺の変」もなくて
        織田信長は暗殺されることもなく
        ということは
        秀吉の「中国大返し」もなくのちの「天下取り」もなかった
        ということなので
        その次の徳川家康の天下もなかったわけですね~

        浅井長政がどれだけ重要なポジションにいたかが伺われますね~

        (続く)
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      • 19. 管理人
      • 2019年06月05日 03:39
      • (続き)

        しかし
        浅井長政は織田信長を裏切ります
        そして
        織田軍が撤退に成功して準備を整えた後は
        「姉川の合戦」で浅井・朝倉連合軍は敗北します
        織田・徳川連合軍が勝ちます

        おもしろいのがこのときの「織田信長」で
        苛烈な性格と言われているくせに
        浅井長政に対して
        「謝れば許す。だから降参しなさい」という内容を何度か伝えています
        織田信長は浅井長政の裏切りを信じなかったようですね

        ---

        (続く)
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      • 20. 管理人
      • 2019年06月05日 03:40
      • (続き)

        ちなみに
        織田信長といういうと
        「血も涙もない悪魔」のように想像されがちですが
        かつて
        織田信長には「生駒吉乃」という側室がいました
        この「吉乃」は「信忠・信雄・徳姫」の三人を産みます
        ・信忠⇒織田信長の後継者
        ・信雄⇒織田家血縁の中では最も重要視された
        ・徳姫⇒徳川家康の長男・信康の嫁になる
        なので
        みんな非常に大切にされて重要なポジションについているのが分かります
        これも信長の「吉乃」への思い入れの強さからでしょうか・・・

        「吉乃」は信長が一目惚れをして惚れ込んだ女性で
        さらにいえば
        「生駒氏」は尾張(名古屋)の半武士・半商人のような地方の有力な家で
        大きなお屋敷には武将だけでなく商人だの農民だのさまざまな人が出入りして賑わっていたそうです
        (ご飯も炊き置きしてあっていつでも食べ放題だったそうですね)
        風来坊のような出で立ちをしていた若い頃の織田信長もその「生駒家」に出入りしては
        近所の悪ガキどもと相撲を取って遊んだり
        ウリを盗んでみんなで食べたりして遊んでいました

        その中には
        後に織田軍の中核となる
        「前田利家」や「羽柴秀吉」もいたそうです

        (続く)
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      • 21. 管理人
      • 2019年06月05日 03:41
      • (続き)

        まあ
        そこで織田信長は「吉乃」というその家の娘さんに惚れていたわけですね~
        そして
        自分が跡継ぎになりますと
        すぐに「吉乃」を城に呼んで側室にします

        そこまで好きならば
        なんで「正妻」にしなかったのか?と言いますと
        織田信長には「濃姫」という正妻がいたからですね

        この「濃姫」は斎藤道三の娘です
        信長の父親が尾張(愛知)と美濃(岐阜)の同盟のために
        政略結婚させました

        そして皮肉なことに
        この「濃姫」の兄・義龍が父・道三を殺害して城を乗っ取るわけですね
        ちなみに「濃姫」の母親は小見(おみ)の方と言って「明智家」の出です
        つまり「濃姫」と明智光秀は親戚のようです

        ドラマでは濃姫と織田信長とがすごい仲が良くて
        琴瑟相和した理想の夫婦のように描かれることが多いのですけど
        でも
        この夫婦は今でいう「仮面夫婦」だったようです
        いわゆる戦略結婚ですが「濃姫」は自由に尾張で過ごしていたらしいです

        そして
        斎藤道三が息子の義龍に滅亡させれらますと
        「濃姫」の政治的な役割も無くなります
        (義龍は「濃姫」からは敵の存在になります)
        すると「濃姫」は当時としては斬新な行動力の持ち主でして
        さっさと夫の信長に「離縁」を申し出ます
        つまり「離婚」します

        そして
        自らは堺(大阪)に移り住んで
        好き自由に暮らして生涯を終えたそうです

        (続く)
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      • 22. 管理人
      • 2019年06月05日 03:42
      • (続き)

        さて
        そして
        信長のココロ?の本妻・「吉乃」ですが
        「吉乃」は三人の子供を産んで後に亡くなります
        このとき信長は
        本城を清洲から小牧山に移して小牧山城を建築した頃です
        小牧山城は美濃制圧のための仮城のように言われることが多いですが
        城の建て方や城下町の作り方など
        非常に本格的でして
        そのお手本としたのが亡き斎藤道三の城や町の作り方でした
        城の堅固さも非常にすごかったらしいです
        さらに
        道三の築いた美濃・稲葉山城を模して
        城下町には職種ごとに町割りして
        同じ職種の人たちが同じ一角に住むなどの工夫をしていました
        そのために物流の流れがよくなり
        楽市楽座(売上税の免除)などもあって町は非常に発展した

        まあ
        それはそれとして
        できあがったばかりの小牧山城に移り住んだ信長
        そして
        一緒に住むはずだった「吉乃」は三人の子供を産んで後に亡くなります
        若き信長は小牧山城の天守から町並みを眺めて
        ひと目もはばからずに泣いたそうです

        もともと信長は
        感性が鋭く豊かな人なんですよね~
        ただ時代が・・・
        信長にその感受性の豊かさを柔軟に表現させることを拒んでしまいました

        ---

        (続く)
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      • 23. 管理人
      • 2019年06月05日 03:43
      • (続き)

        さて
        で、「浅井三姉妹」ですが
        絶世の美女「お市の方」の娘三人であります
        ・茶々⇒豊臣秀吉(羽柴秀吉)の側室となります
        ・初⇒京極家に嫁ぎます
        ・江⇒二代将軍・徳川秀忠に嫁ぎます

        この三姉妹は
        浅井長政の裏切りによって
        ものすごい動乱の人生を送ります

        織田信長は浅井長政を滅亡させます
        このときにお市の方の子供の一人は男子だったために殺害されます
        浅井長政も自刃して亡くなります
        浅井三姉妹は母親のお市の方とともに助けられて織田家に戻ります

        そして次に
        「本能寺の変」が起きて「山崎の戦い」のあと
        時代は豊臣秀吉の「天下」へと移っていきます

        当時の風習では旦那が戦死などして後家になると尼さん(出家)になる人も多かった
        しかし「お市の方」は織田家の重臣・柴田勝家の後妻となります
        これは信長の息子で美濃を治めていた「織田信孝」の勧めというのもあったようです

        (続く)
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      • 24. 管理人
      • 2019年06月05日 03:44
      • (続き)

        信長が亡くなり跡継ぎの信忠も「本能寺の変」で亡くなりました
        織田の後継者は誰になるのか誰も分からない状況です
        信長の息子の「織田信孝」は自分が後継者になりたかった
        そのために
        お市の方(父の妹)を織田家筆頭家老の柴田勝家に嫁がせて
        柴田勝家との連携を強めたかった
        柴田勝家もお市の方を娶るとなれば非常な名誉だった
        お市の方も織田家のためにまだまだ働こうという強い気持ちを持っていた

        が、しかし
        それらを一挙に打ち砕いてくれたのが「豊臣秀吉(羽柴秀吉)」です
        「清州会議」という織田家後継を決める会議ではうまいことやって
        秀吉は「織田信孝」らを抑え込んで
        戦死した跡取り息子の「織田信忠」の子供・三法師
        つまりは
        織田信長の孫(小ちゃい子供)を引っ張り出してき後継者にしてしまう

        このことで
        「織田信孝」も「柴田勝家」も面目を潰されます
        そして
        豊臣秀吉はこの両者との戦争になり
        秀吉が勝ちます「賤ヶ岳の戦い」

        お市の方はここで旦那の柴田勝家とともに城で亡くなります
        最後は部下たちもほとんど逃げてしまって
        少人数になったお城に老臣・柴田勝家は
        お市の方が短刀で自身の胸を刺した後に介錯してあげて
        自身はお城の天守を中心に大量の爆薬をしかけて
        最後は自分のお腹にカタナを刺して
        お城の大爆発とともに亡くなっていったそうです

        (続く)
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      • 25. 管理人
      • 2019年06月05日 03:45
      • (続き)

        お市の方は奇しくも
        ・最初の旦那・浅井長政を秀吉に殺害され
        ・次の旦那・柴田勝家も秀吉に殺害され
        最後も秀吉に攻められて柴田勝家とともに亡くなりました

        そして「浅井三姉妹」ですが
        この大爆死の直前にお城から逃げ落ちます
        そしてなんと
        「浅井三姉妹」はその「親の仇(かたき)」であります
        秀吉に引き取られて
        育てられます

        「浅井三姉妹」にとっては
        秀吉は
        ・母親を殺害された
        ・二人の父親も殺害された
        ・しかし養育してくれている
        さらに
        ・自分たちの元・家臣であり
        しかし
        ・今は自分たち上司である
        という
        非常に複雑な関係になります

        (続く)
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      • 26. 管理人
      • 2019年06月05日 03:47
      • (続き)

        「浅井三姉妹」は
        長女の「茶々」は豊臣秀吉の側室となります
        「秀頼」を産みます
        「茶々」と「秀頼」はのちに徳川家康・秀忠に滅亡させれます
        (つまりは自分の妹の旦那に滅ぼされます)

        次女の「初(はつ)」は京極家に嫁ぎます
        京極家は室町時代の旧家ですね
        これは
        秀吉の側室の「松の丸殿(「初」の旦那の姉)」との関係もあったのかもしれませんね
        なにせ秀吉は『名門の家』コンプレックスの塊(かたまり)のような人ですので

        そして
        三女の「江(ごう)」ですが
        この女性も政略結婚のとんでもない被害者でして
        ・最初は「佐治一成」という武将に嫁ぎます
        しかし秀吉によって離縁させられます
        ・次は「豊臣秀勝」に結婚させられます
        これは秀吉の甥です
        (このとき秀吉は少ない親戚などをどんどん自分の周りに集めています)
        この二人の間には娘「完子(さだこ)」が生まれます(その後の「江」の再婚後に「完子」は三姉妹長女の茶々が養育します)
        しかし
        「秀勝」は「朝鮮の役」で戦争中に朝鮮で病没して亡くなります
        (ちなみに「完子」はのちに「九条幸家」に嫁ぎます
        「九条幸家」は嫁の豊臣家・徳川家のバックボーンによって大きな影響があったらしく
        関白・左大臣にまで出世してしまいます)
        ・そして最後に嫁いだ先がのちの二代将軍「徳川秀忠」です
        これも豊臣秀吉による完全な政略結婚でした・・・

        (続く)
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      • 27. 管理人
      • 2019年06月05日 03:49
      • (続き)

        秀忠は謹厳実直な真面目な人で
        (親父・家康とは違って)側室を一人も置かなかった
        しかし
        「江」と秀忠の間には娘ばかりが産まれました
        跡取り息子がなかなか生まれませんでした
        とうとう
        徳川家康が「俺の息子をあげるか」と言ってきます
        つまりは
        家康の息子を同じ息子である秀忠の養子として後を継がせるという
        トリックプレー?を持ちかけられます

        これに驚いたのが
        「江(ごう)」です
        徳川家に嫁いできて自分の子供を跡取りするのが
        「江(ごう)」の使命感でした

        「江(ごう)」には
        『織田家の血筋』『浅井家の血筋』の両方が流れています

        そして
        やっと誕生したのが
        のちの三代将軍の「家光」になります

        ---

        (続く)
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      • 28. 管理人
      • 2019年06月05日 03:50
      • (続き)

        この「家光」の誕生に江戸城は沸き立ちます
        家康ももちろん養子の話しなど吹き飛ばします

        ところが
        ここで家康がとんでもないことを言い出すのです
        それは
        「春日局」の乳母入りです

        家康は生まれたばかりの赤ん坊を「江」から取り上げて
        お乳も与えさせませんでした
        (これは当時の考えらしくて赤ちゃんはお乳によって賢さが変わってくるという迷信?のためだそうです)
        なので乳母のお乳以外は認められませんでした
        さらに
        家康は「春日局」に命じて
        「家光」を三代将軍にすべく徹底的な英才教育を施させました

        しかし
        赤ちゃんをとりあげられて
        これに憤慨したのが
        「江」です
        そりゃ怒るのが当たり前です
        家康の横暴でしかないですよね

        (続く)
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      • 29. 管理人
      • 2019年06月05日 03:51
      • (続き)

        しかし
        家康は長く続いた戦争を終わらせて
        徳川家による平和な国家を作るという大目的がありました
        そのためには
        「後継者作り」はもっとも大事なことだった
        「春日局」は家康の期待に答えて「家光」に英才教育をほどこました

        そして
        不運の次男「忠長」が生まれてきます
        「忠長」は「江」が最初から離そうとしなかった
        長男を家康や春日局に奪い取れたようなものなので
        その感情の矛先が「忠長」への溺愛に向かっていったようです

        ついには「江」は
        「忠長のほうが頭がいい
        後継者は忠長のほうがいい」と言い始めたか匂わせ始めたか
        なんにしても大奥の「忠長擁立派」は最大派閥となっていきます

        まあ
        生母が味方についていますからね
        そりゃ
        「忠長派」は強かった

        そして
        春日局へのいじめ?もエスカレートしていきます
        どうにかして辞めさせようという運動も非常に活発になります
        春日局は何度か挫けそうになります
        しかしそれを遮ったのが
        ・家康による絶大な信頼
        ・家光による絶大な信頼
        この2つだけでした

        (続く)
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      • 30. 管理人
      • 2019年06月05日 03:52
      • (続き)

        しかし
        大奥のこの争いももうどうしようもないところまで進んでいきます
        そこで
        あの有名なシーンにつながっていくわけですけど

        「春日局」が隠居の家康の駿府城(静岡)を訪れ
        「辞めさせてほしい」旨を伝えます
        当然ですが家康は{なぜ?」と聞きます
        そこで家康は
        「江」が次男の「忠長」を跡継ぎにするべくいろいろと動いていること知らされるわけです
        そこで
        「春日局」を説得して江戸に戻らせて
        その後頃合いを見計らって自身も江戸城に行きます
        そこで
        家臣たちや家族を集めて
        「後継者は家光である」という宣言をします
        このことで「江」の野望は失敗しました

        しかし
        これはみんな可哀想ですよね
        ☆母・「江」・・・長男「家光」から引き離されでその反動で次男「忠長」を溺愛
        ☆兄・「家光」・・・親の愛情を全く知らないで育つ。全ては家康の「徳川家存続」という目的のために人生を犠牲にさせられる
        ☆弟・「忠長」・・・母親から溺愛され、いつしか「将軍職は自分が継ぐもの」を思い込まされる

        そして
        「家光」が将軍を継いだ後に悲劇は起こります

        (続く)
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      • 31. 管理人
      • 2019年06月05日 03:53
      • (続き)

        「忠長」は将軍にはなれずに駿府(静岡)を与えられます
        なので「駿河大納言」と言われます
        「忠長」は些細なことなんですけど悪行があると言われて
        いちいと悪し様に報告されて
        どんどん追い込まれます
        当人もヤケになったのかお酒を飲んでは荒れ狂うようになってしまいます
        そうしてその乱行が江戸城の「家光」に知られてしまいます

        そうしてとうとう
        父親・秀忠が亡くなると
        すぐに
        弟・「忠長」は領地を剥奪されます
        すべて奪われてしまいます
        そして
        正式に幕府からの命令で自刃して亡くなります(28歳)
        理由は「風説の流布(噂を流した)」というあるのか無いのか分からないような理由でした

        結局は最初に
        子供を奪われた母親の感情の歪(ひずみ)が兄弟を行き着くところまで追い込んでしまい
        結局
        権力を一方的に持たせられた兄が
        弟を死に追い込まざる負えなかったという悲劇ですね~

        弟・「忠長」は溺愛されてわがままに育てられたという側面もあるのかもしません
        そのために自滅していった・・・
        そういった意味では
        春日局に育てられて厳しく育成された兄・「家光」
        そういう厳しい育成方法を命じた徳川家康は正解だったのかもしれません

        ---

        (続く)
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      • 32. 管理人
      • 2019年06月05日 03:54
      • (続き)

        春日局の子供のうち二人ですが
        (春日局は本名は「稲葉福」です)
        一方は
        兄・「徳川家光」の小姓(おつきの部下)となった
        ☆稲葉正勝(兄)
        ・老中(幕府の実質的な実務の最高権力者)
        ・相模国小田原藩初代藩主(江戸の守備のための最重要拠点)
        つまりは
        兄は大出世し将軍・家光からも絶大な信頼を受けます

        もう一方は
        弟・「徳川忠長」の小姓(おつきの部下)となった
        ☆稲葉正利(弟)
        ・「徳川忠長」の乱行によって主だった家臣も罰せられた
        ・肥後(熊本)へ犯罪人として流された
        ・そのまま許されることなく人生を終わる

        ちなみに
        両方とも徳川幕府の命令で小姓になっています
        両方ともに「春日局の子供」です

        なんというか
        ものすごい人生の皮肉を思わせますよね~

        (続く)
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      • 33. 管理人
      • 2019年06月05日 03:56
      • (続き)

        しかし・・・
        なんで
        徳川家康は孫の「家光」が生まれたときに
        生母・江(ごう)から取り上げて
        お乳もあげさせなかったのか
        なぜすぐに春日局に預けてしまったのか

        そして
        春日局は
        のちの三代将軍・家光にお乳をあげるところから始めて
        英才教育までほどこし
        家光成人後は
        家光の頭脳となり
        さらには大奥の総責任者にまで出世します

        が、しかし
        徳川家康の命令は
        どう考えても不人情ですよね~
        生母から引き離したということは…

        そして
        これは武士の世界の常識といういわけでもないようです
        上級武士になると乳母は用意しますが
        ここまで極端な分離政策はそれほどは無いのでは・・・

        現に
        家光の弟の忠長ですが
        この子は生まれても江姫が手元から離さず
        二代将軍・秀忠と江姫の夫婦は弟の忠長を溺愛しています

        (続く)
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      • 34. 管理人
      • 2019年06月05日 03:58
      • (続き)

        まず
        徳川家康の性格ですが
        家康ほど「失敗」の多い武将もいません
        家康は基本的に最初は何でもかんでも失敗しています

        具体的には
        ・結婚に失敗
        ・子育てに失敗
        ・領地経営に失敗
        ・外交に失敗
        などなど

        しかし
        これもまた家康の特徴でしょうけど
        家康は「よく失敗から学ぶ人」でもありました
        その失敗が何が原因なのかをよく分析して
        ・同じ失敗を二度としないようにする
        さらには
        ・その失敗を応用して様々な事柄に役立てる
        これが特筆してうまい武将でした

        で、徳川家康の最初の本妻・築山御前(つきやまごぜん)のお話しにまで遡るのですが
        家康がまだ15歳くらいのときですが築山御前と結婚します
        このとき家康は駿河(静岡)にいました
        家康の本拠地は三河(愛知県東側(岡崎市など))ですが
        徳川(当時は「松平」)は織田と今川という強大国に挟まれていた弱小大名でした
        そのため
        家康の父親は駿府の今川義元へ臣従を誓い家康を人質に出したのですね

        築山御前との結婚も今川義元の命令でした
        つまりは政略結婚ですね
        築山御前は今川義元の姪(めい)にあたる人です
        なので
        将来的には家康を一族に引き入れて三河を直轄地にするつもりだったのかもしれませんね
        (実質直轄地になりましたし)
        もし
        家康がそのまま今川義元側の人間でいるのならば
        義元の姪と結婚するというのも決して良くないことではないです

        (続く)
      • 0
      • 35. 管理人
      • 2019年06月05日 04:00
      • (続き)

        ところがその後
        今川義元が京都への上洛を企画し実行します
        徳川家康は先鋒(一番先頭の部隊)にされます
        つまり
        もっとも危険な場所に置かれます

        そして
        織田信長の奇襲「桶狭間の戦い」が起きます
        ちなみに
        桶狭間というと谷やら窪地のような印象ですが
        「はざま」といういうくらいですので
        でも今川義元が休息していて襲われた場所は岡です
        見晴らしはそこそこいい場所でした

        ところが
        その時は
        ・大雨が降って視界が塞がれ
        ・軍がかなりバラバラになっていた
        さらには
        今川義元は2万5千
        織田信長は3千
        の兵力差もあり今川義元は油断していた
        そこを織田信長が見事について勝ってしまった

        2万5千の軍は各処に散っていました
        今川義元はまさか自分に手向かう武将がいるとは思わず
        本陣の守備はかなり緩かった
        そこを織田信長に急襲されます

        (続く)
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      • 36. 管理人
      • 2019年06月05日 04:01
      • (続き)

        そして
        今川義元は討たれて亡くなります
        当然ですが
        京都の上洛作戦は失敗に終わります
        跡を継いだのは嫡男・今川氏真です

        徳川家康はこのときに
        独立を決意します

        つまり
        駿府に帰らず三河に帰ります
        そして
        岡崎城で独立を果たすのです
        人質生活からやっと脱却です

        家康は
        ・3歳で生母と離れて人質となります
        ・そこから13年の間も人質生活を送っています

        ところが問題があります
        まずが東ですが
        ・今川氏真から戻れとの命令が再三再四届きます
        ⇒家康はなにかと理由をつけてこれを拒否します
        ・家康の妻子や家臣の妻子が駿府にとどまったままです
        ⇒この直後に石川数正(かずまさ)という重臣が家康の妻子を救い出します
        ⇒しかし家臣の妻子のかなりは処刑されました
        次に西ですが
        ・織田信長との同盟を結ぶ必要がある
        ⇒従属するようなことは避けたい
        ⇒敵対したら滅んでしまう
        つまりは対等同盟ではなくても
        少なくとも同じ大名格としての体面はつくろいたい

        (続く)
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      • 37. 管理人
      • 2019年06月05日 04:02
      • (続き)

        東の今川氏真は
        妻子を助けて部下の家族が殺害されたことで完全に縁切れとなります
        西の織田信長は
        信長が条件を受け入れてくれて
        一応は対等同盟という形にしてくれました
        (織徳同盟)

        これは
        織田信長としても
        まだ尾張(愛知西側)を統一できていない状況だったので
        東側に親・織田政権が誕生してくれるだけでも非常に助かった面があると思います

        徳川家康は正直いうと
        ことのときはほんとに小さかったのですが
        織田信長の権威を利用して周りをどんどん併呑していき
        三河を統一していきます
        そして
        東の遠江駿河(静岡)へ侵攻していきます

        そうそう
        よく「戦国の美談」として「織徳同盟」が織田信長が「本能寺の変」で亡くなるまで
        破られずに続いたことが褒められますが
        これには土地の作りに大きな理由があると思われます
        尾張と三河は濃尾平野で続いています
        間に山がありません
        遮るものが何もないのです

        織田信長が本気をだしたら
        徳川家康はあっという間に滅亡していたはずです
        そのために
        徳川家康は織田信長を裏切れなかった
        さらには
        これでもかというくらい織田信長のために働いています

        (続く)
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      • 38. 管理人
      • 2019年06月05日 04:03
      • (続き)

        織田信長は徳川家康を信頼し
        娘の徳姫を信康(家康の長男)に嫁がせます
        これも
        織田信長の偉いところは
        もし人質が欲しかったら「信康を寄越せ」と言ってくるところです
        (実際に家康はそれで人質になっていた過去があります)
        しかし
        娘を差し出すから親戚になって同盟を強化しようと言ってきたところですね
        徳川家康には非常にいい条件でした

        さて
        このあたりで
        徳川家康とその嫁・築山御前
        そして
        悲劇の嫡男・信康のお話し
        「家康の子育ての失敗」のお話しですが

        信康が生まれたのは
        家康が人質時代の駿河にいた頃です
        このときの家康の喜びようったらなかった
        なにせ家康は3歳から人質生活で「親の愛情」も「家族の温かみ」もまったく知らないできました
        そのせいか
        盲目的に信康を甘やかせ溺愛します
        完全に親バカ状態だったようです

        ところが
        「桶狭間の戦い」で今川義元が亡くなり
        家康が独立し状況がガラリと変わりました

        (続く)
      • 0
      • 39. 管理人
      • 2019年06月05日 04:04
      • (続き)

        築山御前と信康と亀姫(長女)は駿河から助け出されますが
        家臣の家族は磔(はりつけ)になり今川氏真に処刑されてしまいます
        おそらく
        家康は自分の家族が戻ったことは嬉しかったのでしょうが
        まだまだ非常に弱い徳川家(当時は松平家)において自身がそれを喜んでいたら家臣がまとまらない
        そう考えたんでしょうね
        築山御前を岡崎城へは入れませんでした
        子どもたちだけを岡崎城に迎い入れた
        嫁の築山御前を「築山」というとこに家を建ててそこに住まわせます
        (なので築山御前と言われます。本名は「瀬名」です)
        そして
        築山御前を非常に冷淡に扱います
        これも家臣たちに気を使ったのかもしれません

        そしてその後
        家康は遠江(静岡県西側(浜松市など))を手に入れてそこに移り住みます
        浜松城を作り移動します
        前の岡崎城は嫡男の信康に譲ります
        家康が浜松に移るとともに築山御前も岡崎城に入ります
        結局
        家康は築山御前とは会いもしなかった

        そこで複雑な「嫁姑問題」が勃発します
        というのは
        ・信康・・・家康と築山御前の子供(嫡男(跡継ぎ))
        ・築山御前・・・信康の生母(織田信長に殺害された今川義元の姪)
        ・徳姫・・・信康の正妻(織田信長の娘)
        つまりは
        築山御前と徳姫は「姑と嫁」であるばかりでなく
        殺害された一族と殺害した一族という関係にもなります

        (続く)
      • 0
      • 40. 管理人
      • 2019年06月05日 04:06
      • (続き)

        信康は武勇に優れた大将に育ちますが
        非常にワガママな性格だったそうです
        家康は信康を溺愛したため
        信康はそれが当たり前だと思っていたのかもしれません

        さて今川氏真は
        武田信玄と徳川家康とに挟撃されて滅びます
        (今川家滅亡)

        時代は下がって武田信玄が病没し
        そのあとに武田家は武田勝頼が跡を継ぎます

        武田家は今川家とは親戚でもありました
        ということは
        今川家の血筋をひく徳川信康とも親戚ということになります
        武田勝頼は何度も徳川領に侵攻しました
        偉大な父・武田信玄でさえも落とせなかった高天神城も落城させてしまいます

        家康はこの城を取り戻そうとしますが
        勝頼もこの城は非常に重要な城だったので守りが固い

        そして
        そこで大きな問題が発生します
        徳川信康の背信?です
        戦国時代は息子が父親を追放して国を奪うなんてことが実際あった時代です
        このときは
        ---
        織勝勝勝
        織信家勝
        海海海海

        織・・・織田信長
        勝・・・武田勝頼
        信・・・徳川信康
        家・・・徳川家康
        海・・・海
        ---
        みたいな形でして
        徳川家は徳川家康と子供の徳川信康つまり三河と遠江です
        しかし
        徳川信康が父・徳川家康を裏切って武田勝頼と結べば
        オセロが裏返るように
        「信」が「勝」の文字になるわけで
        すると徳川家康は周りが武田勝頼ばかりになります
        そうしますと滅亡するしかありません

        (続く)
      • 0
      • 41. 管理人
      • 2019年06月05日 04:08
      • (続き)

        徳川信康は非常にワガママな性格で
        父・徳川家康とは実は仲が良くなかったことが
        今では判明しているそうです
        つまりは
        信康は自立をはかって父・家康を滅亡させ
        さらに親戚の武田勝頼と同盟を結ぶ
        嫁は織田信長の娘なのでそのまま人質にできます

        おもしろいのが
        このあたりの歴史が
        江戸時代が始まってからの歴史資料からはごっそりと削り取られて消えています
        何もなかったことになっているのです
        さらには
        築山御前が裏切って武田勝頼と結んだとかいう滑稽無糖な話しが作られます
        さらに
        「徳姫の手紙」なるものが創作?されて築山御前が裏切ったとかいろいろ書かれています
        ⇒この手紙のせいで「築山御前悪女説」が誕生します
        (戦国時代の資料には築山御前の悪女説なんて何も無いそうです)

        さらに
        この「徳姫の手紙」というものは戦国時代の資料には全く出てこないそうです
        江戸時代になってなぜか当然の事実のように歴史資料に登場してきます
        つまりは
        築山御前が裏切ったので築山御前が全て悪い
        ⇒信康はただの犠牲者だ
        というロジックが組み立てられています

        まあ
        それはそれとしまして
        徳川家康は信康の謀反の匂いに感づきます
        そして織田信長にどうすればいいか相談します
        (信康の嫁は信長の娘でもあります)
        織田信長からの返答は「家康殿の好きになされよ」でした
        つまりは
        徳川家の問題なので徳川内部で解決してくださいということでした


        (続く)
      • 0
      • 42. 管理人
      • 2019年06月05日 04:10
      • (続き)

        そこで徳川家康は電光石火
        岡崎城に入ると岡崎城を信康から取り上げます
        さらに信康を閉じ込めます
        その後に自刃させて殺害します
        母親の築山御前も殺害します
        つまりは
        徳川家康は自分の命令で自分の嫁子を殺害します

        これも江戸時代の歴史では変わっています
        江戸時代に入ってからの資料には
        織田信長が徳姫から手紙をもらい
        その内容に激怒
        築山御前と信康の殺害命令を出す
        徳川家康はそれを涙ながらに受け入れてしょうがなく命令に従った・・・ということにされます
        (これが今現在で私達がドラマなどで見る流れです)

        そもそも
        その手紙・・・戦後時代の歴史資料にはありませんから~~
        残念!!!

        おもしろいのが
        ☆信康の謀反?⇒築山御前の裏切りにすり替わる
        ☆徳川家康の命令による殺害⇒織田信長の命令による殺害にすり替わる
        ☆家康の意思ですべて動いた⇒家康は信長の犠牲者のようにすり替わる

        ここらあたりの「歴史の書き換え?」というのも
        「権力の秘密」の一つかもしれませんよね~

        江戸時代はもちろん徳川家康が作った政権ですので
        江戸にまとめられた歴史からは
        徳川家康の減点になるようなことはキレイに抹消されているようです
        かわりに
        築山御前のように徳川家にとっては都合のよくない人物は
        これでもかと悪人に仕立て上げれているようです

        (続く)
      • 0
      • 43. 管理人
      • 2019年06月05日 04:11
      • (続き)

        徳川信康も徳川の嫡男だったので
        謀反しようとしたことは消し去られ
        ただの犠牲者ということにされています

        が、しかし
        徳川家康が子供の教育を誤ったということには変わりません
        これを家康は非常に反省したようです
        そこで
        徳川家の後を継ぐことが決まっていた家光には
        最初から親と引き離し
        優秀な乳母をつけて
        エリート教育をすることにしたわけですね

        まあ
        だからと言って
        家康のこの判断が正当化されることにはならないんでしょうけどね~
        (^o^;)

        (了)
      • 0
      • 44. 管理人
      • 2019年06月05日 04:12
      • P.S.
        私は真夜中に
        いったい
        何を書いているんだろう・・・
      • 0
      • 45. 癒して名無しさん
      • 2019年06月05日 07:02
      • NHKでは文化人扱の和田さん。
      • 0
      • 46. 癒して名無しさん
      • 2019年06月05日 17:18
      • 山本寛斎さん、和田彩花さんとともに、千田嘉博もお店におじゃましております。

        千田嘉博_城郭考古学
        https://twitter.com/yoshi_nara/status/1135513262135566336
        NHK『先人たちの底力 知恵泉』6月11日は
        「徳川3代の天守 創業者 家康のシンボル」(前編) を放送予定。
        徳川家康・秀忠・家光、それぞれの将軍が天守にこめた思いを2回シリーズで探る。
        山本寛斎さん、和田彩花さんとともに、千田嘉博もお店におじゃましております。


        【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第8回「江戸城(東京都)
        卓偉が行ったことある回数、軽く100回くらい」 2013.1.8
        https://www.barks.jp/news/?id=1000086236
        。。。
        天守閣も日本最大で、3回に渡って焼失と再建をくり返している。
        これはどの時期の天守もデータが完全に残っているので復元可能なはずだ。
        でも当時は日本最大の高さを誇る天守でも実に約58メートル。
        今復元しても都内のビルディングに隠れて目立ちはしないのだろう。

        木造で復元したとして、6階まで階段で上がったにもかかわらず、

        「低っ!!!!」

        ってことになるのは仕方ない。
        まあ歴史ファンとしてはこんな観光名所はないと思ってしまうのだが。
        。。。
        だからこそ私は言いたい。江戸城が日本最大の城であった事を。

        でか過ぎて伝わらないのだ。凄いとかのレベルではないのである。
        中島卓偉の才能をファンが広げてくれないのと同じくらいのレベルである。
        。。。


        tvk『中島卓偉のお城へ行こう! せーの、キャッスル! キャッスル!』

        NHK『趣味どきっ! お城へ行こう!』 講師:千田嘉博
      • 0
      • 47. 癒して名無しさん
      • 2019年06月05日 17:24
      • 管理人さんの博学ぶりに頭が下がりますm(__)m

        どうか睡眠はしっかりとって頂いて、お身体ご自愛くださいませ。。
      • 0
      • 48. 管理人
      • 2019年06月05日 17:27
      • ※47
        あ、ありがとうございます
        ほんとに嬉しいです
        (*^^*)
      • 0
      • 49. 癒して名無しさん
      • 2019年06月05日 18:07
      • 金ヶ崎の退き口では、
        朽木元綱を説得した松永久秀も立派でしたね。
      • 0
      • 50. 管理人
      • 2019年06月05日 18:25
      • ※49
        そうですね~

        松永久秀はその後
        織田信長を裏切って「平蜘蛛の釜」という天下の名品とともに
        爆薬で城をふっとばして自滅します

        ということは「金ヶ崎の退き口」の
        この織田信長の大ピンチのときに
        もし松永久秀が朽木元綱を説得しようとせずに
        一緒に織田信長に打ちかかっていれば
        また
        歴史は大きく変わったわけで・・・

        でも
        このときの松永久秀は朽木元綱を説得して味方に引き入れ
        織田信長を救います
        これは松永久秀ほどの人物でなければできなかったことかもしれませんよね~

        ---

        そうそう
        松永久秀と言えば

        松永久秀が亡くなった後
        久秀の奥さんは千利休に嫁ぎます
        つまり
        「宗恩」さんは久秀の奥さんでもあり
        その後
        利休の奥さんになった方ですね~

        松永久秀も千利休も
        一流の茶人という共通性があります
        さらにいえば
        当時の最高権力者に逆らって滅亡したということろまで
        共通しているのも不思議なものですよね~
        (*^^*)
      • 0
      • 51. 必殺仕事人V
      • 2019年06月06日 01:17
      •  以前にも私がここで書いた通り、UFに1人以上やり手の営業担当者がいるって事
      • 0
      • 52. 癒して名無しさん
      • 2019年06月06日 16:57
      • 徳川四天王が2期。
        伊達政宗が佐々木莉佳子。
      • 0

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